ブログとは、もしかしたらほら吹き同士が交流する場だったかもしれないが、ただ交流ができたらの話である。
なぜなら僕がなるべくそのままで話を脚色しているのに、ネットユーザーはいつも五割増しくらいに読んでくるからである。お互いが割り増したり割り引いたりするのではなく、一方的に「おそらく話はこのあたり」という点を勝手に当てはまるわけだ。 ボーダサイトの女性編集者がいうには、もし阿毛博客のコメント欄が開放されれば、今やそのアクセスがとっくに億単位のはずだと。しかし、僕はやはり、一貫してこの手の交流はいらないのである。 問題が生じるのは匿名の書き込みにどうしてもいやなヤツが混じりあってくる時だ。とりわけ、割り増しの読みが暴走し、僕の割り引き感覚が通じず、話にギャップが生まれてしまう。 アクセスとは関係なく、毎朝歯を磨くのと同じように中国語ブログも書き続けようと思う。 #
by amaodq78
| 2009-07-17 06:43
たとえば、政治事件などが世論を席巻したのはけっこうであるが、それのせいで今の日本で中国文学に対する関心が薄れていることは否定しがたい。実際のところ、文学蔑視が精神の貧困にもつながることは明らかなのだ。
本日、熱心な学生諸君の受講をみて、なぜか嬉しい気持ちになったのである。 中国といえば、物騒な世相など暗いイメージをいだく人も多いだろう。とりわけ現地での実感として、貧富格差に発する社会問題は深刻なのである。しかし、そういう国の文学が目に見えない場で着実な努力をしている。少々大げさに「中国」を語るが、文学の中での「本物」とは、実はこの激動な時代に存在しているのではないかとの感がないではない。写真は、女優+ミュージシャン+作家の田原さん(ティエンユエン)との公開対談、徐々に知られるその80年代生まれの世代の文学についても語ってもらったのである。 #
by amaodq78
| 2009-07-01 19:19
| 文事清流
絶望的なほど話がおもしろくないのは、申し訳ないけれど中国文学である。そもそも激流の中国は、もっといい文学を生み出せるはずなのに、なぜか小説はその存在を極端に小さくし、純文学すらたいしたことのないことでも重大な危機のように受け止めるというから、話がおもしろくなくなるのは必然だったかもしれない。
そんな中、彗星のようにあらわれたのが田原(ティエン・ユエン)というアーティスト。女優+ミュージシャン+作家などとしてその多彩な才能を発揮している中国の「80后」の代表格とも言えよう。初邦訳の小説は25日から講談社より発売中↓ #
by amaodq78
| 2009-06-28 06:28
| 文事清流
外へ出てスケッチをするのは、趣味に過ぎないのだが、幼いころを思い出す。ときにはひとりで遠いところまで行った。
油絵の道具箱を抱えて、いい場所が見つからないときには座ってまず空を見る。空を見ていた時間はとても長かった。当時、北京の豫王墳に住んでいて、家は二閘河沿い(現在は通慧河というはずだが)にあった。近くには大きな製粉工場があって、夏になるといつも変な匂いがした。臭いというわけでもいい香りというわけでもなく、とにかく変だった。 それから数10年の時が流れた。今日の午後もおなじように近所にスケッチするポイントを選んだ。油絵の道具は持たず、少年時代のように大げさなものではない。じつは絵を描くとき使っていた小さな木箱は中学生まで使っていたが、その後触っていない。小学校の美術の先生は薜先生といって、スマートな身体に黒縁の眼鏡をかけていた。私と話をしているときに笑うととてもやさしい顔になって、幼稚園で世話をしてくれるお姉さんみたいだった。先生はいまも元気にしておられるだろうか? 中学の美術の先生はあまり印象に残っていない。たぶん運動場でサッカーばかりしていたからだと思うが、かなり長い期間、一人で静かに地面に座って絵を描くということが好きではなかった。きっと少年時代の反抗期だったのだろう。しかし、最近中学時代の先生に会ったときに聞くと、当時の私はちょっといたずらっ気があったものの、やはり内向的なこどもだったそうだ。 雨があがった。夕陽が海面を紅く染めている。空を仰げば、ちょうど雁の群れが飛んでいくところだった。なぜか一瞬、目の前にあるのが日本の神戸の海岸であることを忘れそうだった。自分が長年渡り鳥のように旅を続けているのも忘れて、着地点を探し当てたかのような気持ちになった。しかしまた、それほど帰る場所を渇望しているようでもないのだ。 風景は毎日輝くときがある。私がこういうのは、人が風景のなかに入り込んだときにはじめて輝きを感じ取ることができるからだ。 #
by amaodq78
| 2009-06-13 19:39
| ノスタルジックな時間
午前中、北京の二環路を建国門方向へ向うバスに乗った。花市のあたりで道路の南側に建つマンションの敷地に一本の桜があり、それがとても大きくて、視界にいきなり飛び込んできたのだった。あっという間に通り過ぎたが、その桜がそこでは現実の世界から離れて漂っているようだと感じたのだった。
小学校のころ先生が言っていた「人類が列車を発明した時代には、だれもが列車は怪物だと思った」と。私たちの少年時代でもそう思った。鉄橋の下から、大量の真っ黒な鉄の塊、鉄の円盤、鉄の玉、鉄の鎖が必死に動いているようすが、視界の隅まで氾濫しているのだ。この印象のなかに眠る北京と、たったいま見た一本の桜ははっきりとしたコントラストをなして私に迫ってくる。記憶のなかからやって来たようでもあるのだが、ただ瞼に投入された映像にすぎないのかもしれない。 もう長年のことだが、春になれば花を見る。日本に住むようになって、見るのは自然と桜になった。満開の姿を、萎れ散りゆく姿をみる。生命を感じる瞬間とは盛衰に分けられるものではない。桜のみごろは長くても十日間ほどなのだ。 桜の季節に不思議でならないことがある。私が春に北京に帰ってくると日本の桜は満開になり、日本に戻ると桜はそれを待っていたかのように憔悴しはじめることだ。まるで花を咲かせるのに疲れきり、もう咲くのはイヤだといっているような感じなのだ。 上海電視台ドキュメントチャンネルのトーク番組『風言鋒語』のキャスターは李蕾さんという。とてもきれいな名前だ。「蕾の数だけ花が咲く」のだから。 今年から、彼女の番組にレギュラーとして出演することになっている。時間があれば、こうした雑感を彼女に話してみようと思う。 (写真の中央↑左はゲストのトラベル雑誌の編集長廖敏さん) #
by amaodq78
| 2009-04-19 17:00
| ノスタルジックな時間
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