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無限の清涼

  新聞社を通じて読者の方からお手紙をいただくのはうれしい。また、直接に電子メールをちょうだいするのもありがたい。ホームページを開設したおかげで、ネット上の通信もずいぶん多くなってきた。文章を書くことは、川に石を投げるようなものである。多くの場合、その川も沈黙の闇に吸い込まれてゆくかのように、なにも返ってこない。しかし、作者としては石の落ちたあたりからカンッ、とかパシャとか、なにか音が響いてくるのを期待する。最近、私は特にそう思っている。

  先日、こんなたよりをいただいた。

  「中国の僧侶について、その様子をすこしご紹介していただけないですか?」

  案外とこういうシンプルな質問ほど、どう返事を送ろうかと困ってしまう。中国の僧侶についてと言われても、僧侶もひとりひとり人間それぞれの性格もちがうだろうし、一概には言いにくいからだ。せっかくのお便りに返事を出さなければと焦っているうちに、なぜか私がはじめて出会った僧侶のことが思い出された。そして、概ね以下のような趣旨で返事を書いた。

  私は大学時代に五台山に登りに行ったことがある。その日は予想以上に暖かかった。晩冬なのに、季節を縛っていた糸がふっと緩んだ感じで、まるで初夏のような風だ。背中が汗びっしょりになった。疲労困憊した私はどこか近くに休める場所はないかとあたりを見回した。

  そのとき僧侶の風体の男が横をすっと通り過ぎた。私はその場に立ち止まったまま彼の後ろ姿を何気なく見送った。坊主頭の男は大きな包みをひとつ肩にかけていたが、汗もかかず、私のようにはあはあともいっていなかった。両足は軽く前に跳ね進み、私とは大違いだ。不思議に思って見ていると、少し先のほうで男は道端に座った。そして、皿のようなものを取り出して、静かに食べはじめた。息切れもせず平気で山を登れる人間は、さぞすごい料理でも食っているだろうと思って私は男にそれとなく近づいて覗き込んだ。なんと普通の豆腐じゃないか?山道に根を上げているくせに肉や魚をたっぷり詰込んだ弁当を持っている自分が恥ずかしく思えて仕方がない。

  豆腐を食べ終わると僧侶は無言のまま、またすたすたと歩き出した。遠ざかる男の背中の包みに書かれた「無限清涼」という四文字に、そのときはじめて気がついた。
 
(『仏教タイムス』連載・第74回)
by amaodq78 | 2006-08-15 16:16 | 新聞雑誌掲載文
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