ふだん、日記は自分のために書く。ネット上の日記帳とは、それに限りなく近いという指摘があるかもしれない。しかし、それは本質的に違う気がする。日記というものは本来、読者の存在がないはずなのである。
もし読者がいるなら、それはただ1人だけ、奇妙にも日記を書く人。つまり、日記の筆者である。かつて文学者の死後に公開される日記を読むことで、世間を何かと騒がせるようになったこともあるぐらいだから。 さて、今はどうなっているのだろうか? いくらブログやミクシィと言っても、まず他人に読まれたくないことは絶対に書かない。この時点で日記というものは、もう私的な記録ではなくなっているのではないか?少なくとも半減しているに違いがない。 他人の目に曝されるような事態が存在する場合、こんなことが書かれているのはまずいのではあるまいか、等などと。やはり、様々な配慮を動かす必要がある。いわば、日記の形式を籍りた、どっちかというと、より表現作品に近いものである。 僕のミクシィは当初から知人や友人にしか公開していないが、中国語も同じような試みをしてみようかと考えている。中国語ブログもエキサイトも不特定多数の人々に読んでもらうことを目指しているわけだから、時には公開の往復書簡もおもしろいかもしれない。 とは言っても、裏のまた裏の日記もあるから、切りがない。それだけは無駄に時間をつかわないように自戒している。
by amaodq78
| 2007-02-14 10:03
| ノスタルジックな時間
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