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日本人への旅

 講演後の質疑応答がこんなに活発なものになるとは思っていなかった。ある学生はこう質問した「作家は生活そのものを選ぶと思います。東京の歌舞伎町のような劇的な場所が好きな人もいるけれど、あなたはあなたの周りのことのほうが好きだということですね?」。またある年配の方からはこんな質問が出た「あなたの細やかな描写は日本的な方法の影響を受けているのですか?それとも努めて日本的な方法を超えようとしているのですか?」

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 間違いなく、彼女たちは私の手の内を掴んでいる。私が言いたくて、また同時にあまり言いたくない、締めくくりの言葉を言ってくれた。実際のところ、こんなに多くの学生諸君を前にして、またこんなに熱心に日本を理解しようとする聴衆に対して、私は何を見せたら、日本に対する私の理解を示すことができるのだろう?

 隣国に住む一人の北京人であり、日本語での表現に力を注ぎ、同時に母国語が生まれながらにして私に与えてくれたものを享受している。こんな私の日本に対する理解は言語の内部から始まっているのかもしれない。

 講演会が始まる直前、北京大学の主催者から「今年は抗日戦争勝利六〇周年です。学生からは多分たいへん敏感な質問が出るでしょう」といわれたが、私は即座に「たいへん歓迎です」と答えた。私の言うところの「たいへん」と主催者の言う「たいへん」は同じ重さのものだと何となく感じたので迷うことなく答えた。

 このように言うのには、実は何も深い理由があるわけではない。私の日本での生活はリアルなものだから、ほとんどすべての問題は人間の、風景の、もちろん動物も含めて具体的な表情に置き換えることができる。講演のとき、普段からあまり原稿を使わない。とりわけ、皆と話し合うときにエピソードを交えると、即興の言葉が飛び出し、その飛び出した言葉が皆の笑いを呼ぶことが多いからである。
 
 私は一人の旅行者である。日本人への旅を続けている人間である。1998年から日本語での執筆をはじめ、日本語を使って日本を表現して、紀行文学の二カ国語作家となってからも、このポジションに変化はない。ある時期、周囲の日本人が「中国人はそもそも日本を理解していない」といい、そういうときの彼らはいかにも自分が中国を理解しているといわんばかりだった。このような話を聞くたびいつも耳障りだった。心から言うが、私は日本人が中国を理解することを望んでいるし、また中国の日本への理解は日本の中国への理解より、もっと必要かもしれないと思っている。とはいえ今の時代にも日本を理解する中国人がいないわけではあるまい。 

 知ることは理解の入り口である。この入り口を通る道は一つではない。もし、学識上の見解は幅広い知識の海から汲み取れるものだという人がいたとしても、その人の見解は自身の日本での実際の生活を超えるものではない。私は日本語の「等身大」という言葉をよく使う。中国語で言えば「原大」にあたるかと思うが、「等身大」にはそれだけでは言い表せない語感が含まれている。「等身大」の意味するものは、相手と自分が同じ身長、同じ体重、同じ視点であらゆるこまごましたことを観察する、そこから得られた完全に自分自身の感性による結論と判断である。

  講演中、日本人にとっての「悲」について話した。私のある友人が不治の病におかされた娘に桜の花を見せる話をした。大雨のあと、夜通し地面の桜の花びらを拾い上げ、大きな山をつくり、二階の病室にいる娘が窓から見られるようにしようとした。しかし彼は、そのとき娘がすでに臨終の時を迎えていることを知らされ、花びらをいっぱいに詰めた袋を提げて一目散に病室へ走っていった。そのとき袋が金属の手すりに当たって裂け、彼の後ろには悲しみの桜の道が一筋のこされた。

 また、日本人の「愁」について、近所のサラリーマンのことを話した。彼は会社が不景気でリストラされ、一日中家でふさぎこんでいた。ある日たまたま商店街を歩いていて、突然現れた野良猫が宝石店に入っていき、煙のように入り込んだかと思うと、ショーケースに飛び乗り、宝石を飲み込んだというのだ。そこで彼は不安になってきて、夜になって私を呼びこう言うのだ。人間は猫にも劣る、猫が一気に宝石を飲み込めるのに、人間は会社からクビになる。彼は落ち込んだようだが、同時に猫を殺して宝物を取り出すという考えが浮かんだらしい。そこで彼はいくつもの方法を考えた。たとえば、落とし穴を掘って溺れさす、あるいはナイロンの網で捕まえるなどだ。ほどなく、野良猫は彼の家の庭に現れて、傍若無人な様子で、大きな口を開けて吐きだした。野良猫が吐き出したのは、宝石でもなんでもない、小さな石ころだったのである。私はなんとばかげた出来事かと思ったが、そのとき、彼が猫の歩いていったほうを向いて手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と唱えているのに気がついた。

 間違いなく、今述べた些細なことは私の生活の中で起こったことである。そしてこの些細なことこそがまぎれもなく私の日本に対する理解である。講演中、日本人の「怨」と「恨」についても述べたが、どんな抽象的な概念であっても、喜怒哀楽の情感でも、いつも具体的な状況のなかにそれらを置くことができる。なぜなら私は生活こそ常緑の樹であると信じているからである。

 講演会では私が期待していたたいへん敏感な問題については、だれも質問しなかった。しかし、敏感な問題であっても私の答えはきっと細かく具体的なもので、何ら抽象的なものではなかっただろう。
 
 最後に、日本国際交流基金会北京事務所と北京大学がこの講演会の機会を与えてくださったことに感謝したい。また日本語版「人民日報」編集長の王衆一氏に感謝したい。彼との対話のなかで、私が思い感じていることがだんだん具体的になり、だんだん細かくなってきた。私たちは文化とは多様な情況論であり、単一的な思想論であるべきではないという同じ考えを持っている。
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 (2005年9月10日 北京大学で毛丹青『等身大の日本』の講演会が行われました。全文は国際交流基金のPR誌に掲載)
by amaodq78 | 2006-03-01 11:07 | 新聞雑誌掲載文
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