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日本を知らなければ

 日本を知ろうとする活発なるシーンの充実、そして等身大の姿勢による確かな目線。そんな今だからこそ、新しい価値観の中で発芽するべき新しい雑誌『知日』を主筆として立ち上げようと思い、各方面のご協力を頂きながら、来月4日に北京で記者発表会が開くことになった。(2010年11月11日放送済)関西テレビ・ニュース番組『スーパーニュースアンカー』


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by amaodq78 | 2010-12-22 07:55 | 新聞雑誌掲載文

北京の暮らしのかたち

 北京は今日から寒くなってきた。空を見上げると、雲はあるのだが、太陽の光が強すぎて雲があるのが見えない。ただビル群の隙間の狭い青空が少し白っぽく感じられる。早朝からあちこち歩き回った。国貿橋から私の母校北京119中学の正門まで、その後は秀水街から日壇公園まで歩く。仲間たちと遊び戯れた子供のころの情景を思い出す。そして大人になってそれぞれの道を歩いている今、生活は空の雲のように、ときに見えないことがある、と思う。
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 地下鉄に乗って、十号線は若者が多く老人が少ないことに気づく。老人はほとんど見当たらない。車内では若い男女が目を引くようなタトゥーをしているのをよく見かけた。とくに黒々したトンネルを抜けるときには、彼らの身体に、タトゥーが発する光がほんの一瞬だけ浮かび上がる。十号線に老人が少ないのはきっと、バスなら無料乗車券が使えるからかもしれない。若者が多いのは、IT関連の施設や店が集まる中関村へ行くからだろう。北京市内には東西にITの街が連なっている。

 復興路のあたりで信号待ちをしているときに、工事現場で手押し車を押している労働者が見えた。 発動機か発電機のように、紳士然として悠々と押している感じがなかなかいい。赤信号になると必ず慌てて走る人がいるが、いったい何のために現代人はこんなに時間に追われてせわしないんだろう。何事ももっとゆっくりしてみたらどうだろう。

 夜、ドイツの友人と食事に行った。昔ベルリンにいたときの話になった。当時ベルリンはネオンが少ない街だと感じた。少なくとも香港のようにネオンだらけではない。食事を終えて二人でタクシーに乗った。途中、あるレストランの前を通りかかった。タクシーの窓から覗くとレストランの外にかかっているネオンサインがいっそう眩しい。しばらくして、友人が突然「あのネオン、ほんとは24時間営業のことだよね」と言った。

 見ると、本来「24時間」と書いてあるネオンの4だけが消えていて、「2 」だけになっているのだ。それがなんだか人が仏様を拝んでいる格好に見えた。
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by amaodq78 | 2010-12-15 07:53 | 文事清流

経験としての空間

 北京に送らなくてはいけない原稿があって、それを研究室のプリンタで出力していた。すると、北京、それもかつて少年の楽しい日々を埋めてくれたその巨大空間がいまになって過去のどこかへ私を吸い込もうとしているような錯覚を覚えた。

 北京とは、私にとっての唯一のそういう場所だ。神戸とはまったく違う。神戸では海からの風が吹き、波があって音も立てる。海の気配を感じながら、六甲山の頂は深い緑に覆われている。 空間は抽象ではなく具象であるはずだ。

 北京の冬は湿度がなく乾いている。実家のリビングで絨毯の上を歩きまわっていると、金属製のライターにもぱちっと静電気が走る。タバコを吸うにはマッチが必要だろう。窓の外のモダンで躍進する街から弱々しい太陽の光が射し込んでいる。

 乾いた季節に私は惹かれる。好きだった、といっていいかもしれない。食堂のテーブルから拾いあげた豚骨と輪ゴムで遊ぶ少年の私。文化大革命時代に発禁となった雑誌から切り抜かれたらしい版画の数々、早朝のラジオから流れる北京発の毛沢東の声…… それらの記憶は未だに消せない情景であり、ただぼんやりとそれを遠くから眺めている。なぜなら、かつての日常はすでにないからである。

 人間の記憶と空間はいったいどこからつながり始めているのか?私にはわからないが、気持ちのうえでは過去のどこかへ急激に吸い込まれ、そして落ちつくことを容易に想像できる。

 今から23年前、中国から日本へ向かった。そして日本語に接し、日本に生活することになった。それぞれの国に暮らす人間の気質や価値観といったものが違うのは当然のはずだが、その中にあっても日常という空間を突如として飛び越えることは不思議とたやすい。

 私はたった今、神戸にいながら、北京への気持ちをつないでいる。この空間の移動に比べれば、言語はいくら言葉を費やしても人間の思いを完全に言い表すことができない脆いものかもしれない。

 中国の現代宗教書によれば、空間とは、われわれをとりまく意味に満ちた世界のなかでの、つまり有意味的な場所のなかでの、関係性である。
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by amaodq78 | 2010-12-08 08:12 | 文事清流