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友情はすべて会話のなかにある

 ハルビン、大連、そして天津への講演旅行から戻り、相変わらず忙しかった。もちろん書いたり読んだりもしたけれど、多忙は僕にとっては最初から基本的には雑用だった。雑用とは人とのあいだに交わされる会話であり、一種の友情でもあった。さまざまな人たちとのあいだで交わされる会話を蓄積させていくと、友情のなかに進むべき経路がやがてあらわれ、そこを僕が歩いていくと、友情のなかにある事実関係の末端に僕は取り込まれ、そのことを通して、ほんの少しずつにせよ、友情というものを実現させていくことが出来る、という実感である。
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 ところで、今月3月13日(土曜日)大連外国語学院での講演の全記録は既にネットで出現していて、しかも丁寧に細心に、よく作成して、計80分弱の長さを組み立てたというからたいへん驚いた。

 こうした作業を聴講生の誰かがそれなりに完遂するにあたっての目的は、ただひと言、みんなに見せるために、でしかない。いわば、僕への友情とはこういうことなのだと、いまの僕はそう思っている→ 『大連外国語学院での講演全記録』
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by amaodq78 | 2010-03-30 10:32 | 文事清流

盲導犬

 今年3月、初春のある日、例年どおり地元の税務署まで確定申告に行った。例年どおり人が多く、行列ができていた。列の前のほうに一人の女性と盲導犬が並んでいる。犬は水色のポーチを背負っていて、そこにはご主人の名前と緊急の場合の電話番号が書いてあり、大きな字で「お仕事中です」と書いてあった。
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 盲導犬は主人の傍にぴったり寄り添ったまま進んでいく。もっと狭い場所でも彼女に忠実についていくのだろう。順番がきて税務署の職員が大きな声で彼女に申告書の説明をし、彼女が時折質問する。彼女が口を開くたびに盲導犬は彼女を見上げる。彼女が黙って話しを聞いている時は、犬は周囲を眺めている。

 狭いブースに一人ずつ税務署の職員がいて、出入り口にはカーテンがかかっている。盲導犬は入り口の内側をふさぐように、門番のように主人を守っている。申告の込み入った手続に必要な資料を取りに行くのだろうか、税務署員が席を立って盲導犬に話しかけた。「失礼しますよ。ちょっと通してくれませんか」

 犬はちょっと彼女を見てから、体をずらして道をあけた。

 盲導犬があんまり可愛らしかったので、私は犬の写真を撮ってもいいか主人に尋ねた。彼女は嬉しそうに犬に言った。「この人もあなたの写真を撮りたいんだってよ。おまえがハンサムだからだわね」

 税務署の用事が済んだ帰り道、もう一度あの盲導犬を見かけた。犬は主人を誘導して道路の、花が咲いている側を歩いていった。もう片側の、花を植えていないほうには見向きもしない。道を渡るときも、盲導犬は主人の先に立って、赤信号になると立ち止まり、頭を高く上げて、青になるのを待って渡った。渡り終えると、盲導犬は突然振り返って、主人と一緒に、今渡って来たばかりの道に一礼した。

 盲導犬と彼の主人は弱者かもしれないが、感謝のなかで生活しているのだ。先ほど見た盲導犬の穏やかなまなざしを思い出したとき、心が熱くなった。
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by amaodq78 | 2010-03-27 11:45 | ノスタルジックな時間

夕焼けの温度

 商社に勤めていたとき中国沿海都市への出張が多かった。北は大連の長海県、天津、塘沽から南は珠海まで、そのあいだには日照、連運港、上海、寧波、福建、アモイなどもある。毎年春と秋には漁師と一緒に海に出る。港へ帰ってきて彼らと酒を飲んだりマージャンをすることもあった。しかし、一番よく覚えているのは夕焼けだ。いつも思うのだが私は日の出より夕焼けを眺める時間がずっと長い。
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 大学生のころから朝型で、寮で同室だった友人が三十年経ったいまでも私のせいで眠れず仕方なしに早く起きて勉強した、と恨み言をいうほどだ。実際、早起きすると頭が冴えて勉強もはかどるが、これは朝焼けを浴びているから勉強がはかどるわけではなく、そういう意味では私にとって朝焼けは身近なものではない。

 いまでも朝型だが、相変わらず日の出を見ることは少ない。早朝に原稿や教材、ブログとツィッターを書くのが好きだが、机に向かっているかあるいは後の二つは旅先の列車やホテルで書くことが多いからだ。それに一日の仕事が終わったときに見上げる夕焼けは日の出よりずっといい。ああ、今日も一日仕事をした!という気持ちになる。すこしキザだが、夕焼けが今日も一日おつかれさま、といってくれるように思うのだ。いつも思うのだが夕焼けは温度があるから美しい。夕焼けを見るとき目を見開かなくてもよい。ただ目を閉じてまつ毛にかすかに感じるのだ。そうすると少しずつ温かさが伝わってくる。

 ところで、日本語で書くということは私にとってまるで遊びのように無意識に生活のなかに侵入してきたものであった。その場合、私をとらえた母国語の中国語と同じぐらい、日本語を書いた「実在」そのものが密接な背景として思い出される。

 近所の日当たりのよい散歩道、タバコの匂いがしみ込んだ私の書斎の古い椅子。覚えたての日本語をたどれば、新たな表現の世界が扉を開けて待っているという発見が私を夢中にさせたのである。そして、今日も日本語で書き続けている。
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by amaodq78 | 2010-03-02 06:18 | ノスタルジックな時間