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記憶と距離の絆

 JAL786便で大阪へ戻る。北京首都国際空港の登場口はE15番である。滑走路での離着陸から乗降口、ボーディングブリッジの接続まで眺めることができ、航空ファンにとって特等席といえるかもしれない。

 豫王墳という古墳の近くで育ったせいか方角には敏感である。単に「永安里」といってもその「東西南北」が気になる。そういえば通っていた永安里二小の呂志存先生はいまもお元気だろうか?黒板を埋め尽くす先生の書く文字は決して乱れることなく、楷書のお手本のようだった。

 記憶のなかの「永安西里」にもともと茶色の地色はないのに、いつからか茶色があらわれる。お寺の壁、あるいは葬礼など、過去を知る人に「豫王墳」を連想させるのだ。
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 私は過去の人間だ。少年時代とのあいだに距離をもつ人間だ。進学した119中学も永安里にあり、少年時代のときの流れはとてもゆるやかだった。まるで私の行く末を知っていて、いま慌てる必要はないといったかのように。つまり、当時の私がすでに今の「私」となる 「行く末」を予言していていたかもしれないということだ。

 距離は心の啓示である。同じ風景も、距離があるからこそ記憶が濃縮され、希釈されもする。それが人に対してならば、なおさらだ。距離は人と人の感情をつなぐたった一つのものなのだ。

 飛行機は黄昏が近づいたころ定刻どおりに目的地に着陸した。そして家路を急ぎ、もうすぐ神戸の家にたどり着くというときに、ふと目をやると、あるおじいさんがレジ袋からキャットフードを取り出していて、すぐに二匹の野良猫がどこからともなく駆け寄って来た。

 この場面に遭遇して私は錯覚を起こしそうだった。なぜなら先週北京の自宅へ帰った日にも、家の前である中国人のおじいさんが同じように袋から餌を取り出すのを見たからである。そして北京でも同じように、どこからともなく野良猫が駆け寄ってきたのだった。そのネコは黒猫だったが、ベトベトするような黒光りではなく、ひとすじの黒煙のようだった。
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by amaodq78 | 2009-09-26 05:36 | ノスタルジックな時間