カテゴリ:新聞雑誌掲載文( 48 )

日本を知らなければ

 日本を知ろうとする活発なるシーンの充実、そして等身大の姿勢による確かな目線。そんな今だからこそ、新しい価値観の中で発芽するべき新しい雑誌『知日』を主筆として立ち上げようと思い、各方面のご協力を頂きながら、来月4日に北京で記者発表会が開くことになった。(2010年11月11日放送済)関西テレビ・ニュース番組『スーパーニュースアンカー』


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by amaodq78 | 2010-12-22 07:55 | 新聞雑誌掲載文

お辞儀の不思議

 新幹線がホームに入ってくると、すぐにも乗りたい。また、列車から降りてくる友人に早く会いたいと思うのはなんら不自然ではないだろう。しかし、日本の駅でその新幹線が止まれば、時々乗客のお辞儀のやりとりが終わるのを待たなくてはならないときがある。勿論、お辞儀はとても素敵だが、腰から深々と身体を屈めるのには時間もかかる。日本人なら、人と出会った時や別れた時に、その場で丁寧なお辞儀や挨拶を交わさなければならないが、駅のホームに限っては、特に列車のドア付近ではほかの乗客や出迎えの人に不快感を与える瞬間でもあるだろう。

 このごろ、仕事の関係でよく上京するようになり、新幹線はいつも神戸から乗りこむ。駅のホームで発車時刻に人のお辞儀を観察してみた。どうやらお辞儀をする人の地位が同じであれば、それほど長くはないようだ。問題は、明らかに目上の人に対しての時である。お辞儀が終わり目上の人が一度軽くお辞儀をすると、目下の人はもう一度深く頭をさげて挨拶を続けながら、足元はまるで眼が生えたように正確な方向を見据えて後ずさりはじめる。その時、お互いの目線は合わず、あたかもひとつの儀式が行われているように見える。

 いつまでお辞儀を続けるかは、相手の目を見て決めるわけではなく、その場の雰囲気で動かされているのではないか?

 このように考えたのも決して単なる気まぐれではなく、おそらく日本を知りつくしたとは言いがたい自分であるからこそ、ホームに立つとお辞儀のある情景を見てみようと思い立つのだろう。時間的に余裕がある場合、乗客を眺めているだけでも退屈しない。暑い夏なんかは、女性乗客が扇子を優雅にあおいでいるのを見て、こちらまで涼しくなる気がする。

 「お辞儀は日本人の礼儀作法である」。以前、日本語がまったく理解できなかった頃に、中国で読んだ書物のなかのこの1行だけはなぜかよく覚えている。はじめて日本に行くのだから、せめてお辞儀ぐらいは身につけたほうがいいなあと思い、大きな鏡の前に不慣れな腰曲げを何回も練習してみた。日本へ飛ぶ前日のことである。

 しかしその後、日本に来てからの十何年の間にはお辞儀をわざわざ練習することなど一度もなかった。それどころか、いつのまにか自分も人と会う時にはお辞儀をするようになっていた。つい最近、愛知県のお寺参りに行った時に、一匹の白い猫が一筋の煙のようにするりとそばを横切ったところ、思わずお辞儀をしてしまい、友人の住職から思い切り笑われた。

 そんな私だが、いまなお、日本人のお辞儀を妙に感じるのは実に不思議なことである。
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by amaodq78 | 2009-05-09 17:11 | 新聞雑誌掲載文

内閣府海外向け広報誌に登場

 写真には、ボーカリスト、女優、小説家の田原さん(ティエンユエン・武漢出身)と一緒に載っている。自分がどのように書かれていたのか例によって忘れているかもしれないが、このページにたどり着いたときにはつい手を止めてしまう。
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 Readをクリックすれば全編読める→Highlighting JAPAN

 少女らしさを留めていながらもかなり魅力的な彼女の小説を読み、僕はこんな年を取っていたのかと感慨を覚える。昔の少年時代の僕とはまるで違う。今を見つめるとこんなところまで見方変わるのかと初めて知った思いだった。
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by amaodq78 | 2008-12-19 22:02 | 新聞雑誌掲載文

心の中の風景

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by amaodq78 | 2008-11-23 08:27 | 新聞雑誌掲載文

YOKOSO! JAPAN

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by amaodq78 | 2008-09-21 15:48 | 新聞雑誌掲載文

『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)2008.09.16

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by amaodq78 | 2008-09-09 12:00 | 新聞雑誌掲載文

『歎異抄』というフィルター

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by amaodq78 | 2008-08-17 09:51 | 新聞雑誌掲載文

莫言饅頭

 1999年の秋、中国の作家莫言さんが、彼の小説『豊乳肥臀』の翻訳刊行を機に初めて来日した。私は通訳として北京から同行し、飛行機で関西空港に入り、それからの日本滞在の約二週間の全日程を随行した。
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 中国と日本は歴史的にも文化的にも縁が深く、彼の小説『赤いコーリャン』『豊乳肥臀』にも深く日本の影が落とされている。このことについて彼は、中国東北地方で受けたインスピレーションをもとに日本に想像力を馳せたという。

 これが、莫言さんの描く日本に、中国東北とほぼ同じ緯度の北海道の情景がよく織り出される理由のひとつとも考えられる。日本に発つ前夜、北京市内で文化人の友達が何人か集まって食事会を開いてくれた。その席で、珍しくお酒を飲み干した莫言さんは、皆のまえで、「毛君は私より日本をよく知っている。今回は、彼の日本をこの私にもぜひ見せてほしい」と挨拶された。

 実は、二年ほどまえ、小文『川向こうの鐘の音』(拙著『にっぽん虫の眼紀行』法蔵館刊P144~154)の中国語版を莫言さんに読んでもらったことがあった。

 それは愛知県知立市にある称念寺のことを描いたものだったが、これを読み終えた莫言さんが私に「このお寺を見に行ってみたいなあ」と言ったのをいまもはっきりと憶えている。私には、莫言さんの言葉が、日本に10数年も住みなれたはずの私の真価を試すかのようにも聞えたが、小説家としての彼は純粋に一個人としての体験そのものを切実に望んでいただけかもしれない。

 莫言さんの訪日にあたって、滞在のスケジュールを組んだ。そのなかには私が詳しい伊勢神宮と神島も入れた。われわれは、京都から東へ移動し、日程の後半を東京で過ごすことになった。愛知県までは車で走った。ずっと私と莫言さんの二人旅だった。

 途中から莫言さんは、運転中の私を「小馬夫」と呼ぶようになり、私の説明でだいぶん日本を覗くことができたという。そして「毛君よ、日本できみは淵を泳ぐ魚のようだ。私はぴょんと跳ねるばかりのエビみたいだね」と楽しそうに笑った。

 称念寺に到着したのは、夜だった。山門の内に澄んだ池から月の水影が微かにみえる。お寺近くで和菓子屋の前を通りかかった。莫言さんが「お寺の近くには、菓子屋も必ずあるのかね?」と聞いた。

 お寺に入ってから、われわれを迎え入れた住職にそのことを聞くと、「お寺には法事が多くてお菓子や饅頭をよく使いますから、お菓子屋さんもお寺のまわりに集中するようになったかもしれませんね。お寺は町の顔ですよ」と答えた。

 本堂にお参りした後、住職が和菓子屋のご主人を呼んできた。莫言さんのことを紹介してから、皆で町に繰り出した。寿司を食べながら、中国の話題で盛り上った。その後、スナックにも行ったが、そこでも中国の話題が果てなかった。

 住職が「『豊乳肥臀』を早速買ってきたが、また読んでいない。二、三日中に読んでしまいたい」と言いながら、莫言さんと水割りで乾杯した。和菓子屋のご主人はその場の話題を聞き漏らさすまいとするように耳を傾けていた。莫言さんはいう。「お坊さんが人間の暮らしに深く潜れば、仏教が人の心に浸透するものになるだろうね」

 それを聞いた住職は、嬉しそうに笑った。

 その日、我々は寺に一泊した。翌朝、梵鐘の音に目覚めた。莫言さんは眠そうな目で言った。「いま、変な夢をみていた。空気がお坊さんの両手になって、私の身体をぐっと持ち上げ、あのお菓子屋の上空をぐるぐると旋回させた。」

 「そうですか?それじゃ、お菓子屋を覗いてみましょうか?」と私が誘うと、莫言さんは「そうだ、そうしよう」と早々と朝の支度を済ませた。

 和菓子屋の店内に入ってみると、ご主人と奥さんは既に仕事に取りかかっていた。私たちの来店をとても喜んでくれて、早速、新製品の饅頭を手渡された。柔らかく蒸した饅頭は、黄色の焔のようだ。

 莫言さんは満足そうに食べ終わると主人に「美味しい」と言い、さらに、「美味しさに言うこと莫し」との意味を込めて自分の名前にかけて「莫言(モーイエン)」と言った。 

 その後、私は自動車を寺に預かってもらい、莫言さんと新幹線で東京に向かった。連日の取材や講演会とNHKテレビの収録などで莫言さんの訛りを聞きつづけるうちに、北京出身の私にも彼の山東訛りがうつった気さえした。

 東京を離れる前の日、平凡社を表敬訪問している最中に、私の携帯電話が鳴った。電話の向こうから称念寺の住職の声が聞こえた。「莫言さんにお伝えください。彼の小説を読みました。私も菓子屋のご主人もとても感動しました。そこで、彼の名前にちなんで莫言饅頭をつくりたいので、帰りに少し早めに寺に寄ってください」

 私は、すぐにそれを莫言さんに伝えた。すると「そうですか?まさかあの夢がまた続いているわけじゃないだろうね」彼は照れくさそうに言った。

 次の日に、われわれは再び、お寺に立ち寄った。莫言さんを歓迎するために、本堂に小さな舞台も出来ていた。称念寺幼稚園の園児たちが賑やかな踊りを披露してくれた。黒衣を着た住職は輪袈裟も肩にかけて、和菓子屋のご主人と一緒に子供たちの後ろに並んだ。

 莫言さんは笑顔を絶やさず、子供の踊りに合わせて両手を叩いていた。舞台が終って、皆で記念写真も撮影し、最後に、住職のご厚意にこたえて、莫言さんは寺院の境内に公孫樹を記念に植えた……。

 2000年の旧正月、菓子屋のご主人は約3ヶ月間の試行錯誤の末、莫言饅頭を完成させた。新製品第一号をどうしても莫言さんと彼の家族に食べていただきたいと、ご主人は住職と私を誘って一緒に北京へ飛んだ。大晦日、われわれは莫言さんと奥さん、それに彼の娘さんと一緒に楽しく過ごした。

 皆で莫言饅頭を美味しくいただき、北京で新年を迎えることもできた。莫言さんはなにかを考えているようで、それから私にこう聞いてきた「私は、未だにあの夢の中にいるのかね?」

 私は、「あれは、夢ではなく、童話だったのかもしれないですよ」と思わず言った。

 莫言さんは、満面に笑みを浮かべていた。

注:(1)小馬夫:シャオマアフー。日本語の“御者”にあたる。(2)童話:メルヘン
  『月刊百科』誌(平凡社)2000年6月号に全文掲載・毛丹青著

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by amaodq78 | 2008-03-07 08:32 | 新聞雑誌掲載文

普通の日本人の魅力

 色々日本の本を読んだけれど、一番面白かったのが本居宣長の『古事記伝』。そこで僕は、1987年から、宣長が一生を過ごした松坂に近い三重大学に留学しました。

 浄土真宗の高田本山のある津市の一身田に住んでいましてね。隣のおばさんがお参りに行く姿を見て、親鸞に興味をもったんです。有名な「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という「悪人正機説」、ああいう発想は中国人には、考えられないですね。あまりにギャップが大きすぎる。 

 でも、日本人の普通の生活の中で暮らしていると、なんとなくわかる部分があるんですよ。日本のお寺の住職は、保育園の園長先生をやっていたりしますね。日本は、お坊さんが生活の中に入り込むことによって、仏というか南無阿弥陀仏みたいなものが、一人ひとりの人間の中にいるんじゃないか。日本の素晴らしいところは、そこだと思う。

 日本では、墓地が至る所にある。黄昏の夕日が墓地に射して、その美しい光の中で幼稚園の子供たちが鬼ごっこをして夢中で遊んでいる。死者と生者がむつみあうようなのどかさ。現代の中国ではありえない光景です。

(平成18年『文芸春秋8月臨時増刊号』「私が愛する日本」・平成20年2月26日発売『私は日本のここが好き--- 外国人54人が語る』加藤恭子編 P12-16 毛丹青 出窓社)
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by amaodq78 | 2008-02-10 21:09 | 新聞雑誌掲載文

天空への道

  中国映画界の第一人者、そして私の友人である田壮壮監督。彼は「俺は、その茶馬古道を歩きつづけてみて、これは信仰に生きる人達でなければ無理だ」と思いを深くして、初のドキュメンタリーを撮りはじめた。百キロ以上もキャラバンに密着取材を試みてついに公開にこぎつけた伝説のテレビ番組。それが2004年の春、NHKハイビジョンで放送された『天空への道』である。


  中国の雲南省からチベット、インドへとつながる茶馬古道では、標高3000メートルの険しい山道を数十頭の馬とラバを率いたキャラバン隊が往来し、生活物資を運んでいる。しかし、今その道に、地元政府による幹線道路建設計画が進められている。田監督はこのことをたいへん心配していた。「このままでは、道だけではなく、この道に頼る地域の生活も文化も消えていくのではないか」と。

  しかし、国際共同製作で完成した彼の番組はそんな心配をも吹き飛ばすパワーと豊かな感情に満ち溢れる映像美の作品に仕上っている。茶馬古道の信念深い人々が自分を襲った数奇な運命に翻弄されながらも、中国の周縁で自らを失わず凛とした生き方を貫く姿を活写していた。――― 小さい頃からキリスト教の家に育てられ、厳しい国内弾圧を乗り越えてきた104歳になるヌー族の老婆。原因不明の疫病で多くの仏教徒を失い、村全体は軍に収用されるなど寺の存続の危機を何度も克服してきたという70歳のラマ教の僧侶。そして50年間続けたキャラバンでの生活を語り、道を歩く旅こそわが人生だという元馬追い、などなど――― が素朴に赤裸々に繊細にあるいは豪放に描き出されている。

  『天空への道』はほかのどこでもない、人間の心の中にあるのだ。こういう意気込みが伝わってくる映像作品を見たのは初めてだった気がする。中国にはかつて、すべての宗教を弾圧する文化大革命の時期が存在していた。私には少年時代であったが、田壮壮監督は都市から農村に強制労働のために送られた、いわゆる「下放」の時であったに違いない。革命理想の苦界に身を沈めた大人達の感慨深さを当時の彼は身をもって噛み締めたことだろう。しかしそれがあるゆえに、映画監督としての彼の円熟を感じさせる初めてのドキュメンタリー番組が生まれた。

  本作品の中国語タイトルは『ドゥラム』、チベットの言葉で「平安の女神」を意味する。田壮壮監督によれば、キャラバンでたまたま乗ったラバの名前がドゥラムといい、茶馬古道沿いの人々の、苛酷な生活に耐えぬくその穏やかさと雰囲気にイメージに重なったため、このタイトルに決めたという。

(『仏教タイムス』連載・第102回)
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by amaodq78 | 2007-08-29 23:32 | 新聞雑誌掲載文