カテゴリ:文事清流( 103 )

知日の頂点を目指す

 日中関係はいま、きわめて悪い!だからこそ、僕らがやるんだ!というのも僕らがやらなければ、誰がやるんだ?と聞きたいぐらいからである。

 主筆として来月、中国で創刊するこのムック(mook)本は、雑誌と書籍をあわせた性格を持つ刊行物で、簡単に言えば、magazine の m- と book の -ook のポートマントーそのものである。
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 本誌は、中国人ライターが知日意欲の存在によって表現されてきたという仮説に行き着くまでの、日本文化の観察と研究の歩みを紹介している。また、主なコンテンツにはさまざまな分野において知日の頂点を目指すということがもたらしたユニークなアプローチ、かつ驚くべき詳細な事例が紹介されているが、中国人読者の中には日本文化はどうなのか、という好奇心にかられた方も多いことであろう。

 ぜひそうなってほしいと、願っている!
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by amaodq78 | 2010-09-29 10:42 | 文事清流

命の重さを受け止められるか

 知り合いの男が自殺した。旅先では情報が入ってくるのが途切れがちなこともあり、その知らせを知ったのはあまりに突然だった。彼の死は、先ほど立ち上げたパソコンから飛び込んできたばかりだというのに、彼はまだ生きているような気がした。

 ブログを残していた。死の直前になって訪問者がメッセージを書き込めるように設定していた。教えてくれた人がいたのでクリックしてみると、彼が記録していたのは、現実とはまったく無関係な時間と空間だった。空の雲について、その中で漂流したことがあると書いてある。海について、かつてまっすぐ墜落していったと書いてある。人については、自分は哀れなほど小さな一つの器官にすぎないと書いてあった。

 生きることは歌のようにはいかない。誰も彼の幻覚を理解できず、冷淡と無情が長いこと彼の人生の道連れであったのかもしれない。ほかに何を言えばいいのだろう。若い人が突然彼を発見し、彼が開放したメッセージ欄にハチの巣のように集まり始めたこと。これもまた彼が残した新しい芽といえるだろう。

 彼の過去は現在に変わった。あまりにも多くの人が彼の生前の笑顔を思い起こしたせいか、彼がかつて口にした、ちょっとした挨拶でさえ、メッセージ欄に一編の短文として書き込まれた。不思議な偶然だろうか、中国へ帰国する日、電車で関西国際空港まで行くときに僧侶の一群を見かけた。

 僧侶たちは直立して一歩も動かない。私は好奇心から携帯電話で撮影した。何故か分からないが、撮影した瞬間、空気が冷たい感じがした。
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 自殺した男に話を戻そう。彼の心の門は固く閉じられていた。その門を開いたときには、彼自身は空になっていた。南無阿弥陀仏。
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by amaodq78 | 2010-08-24 09:40 | 文事清流

酒を飲むのは三人がいい

 二人で酒を飲むなら、常に話相手でいなければならないから、最後は疲れる。これにくらべて、三人は交替で話が回り気が楽だが、まるで四人になるとタクシー1台に乗れず、あきらめるようだ。居酒屋でも四人一緒に座れないこともあるが、だから三人がいい。

 写真は夕べ、都内での三人、親友の莫邦富、蒋豊両氏と楽しい時間満喫って感じ!
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by amaodq78 | 2010-08-14 14:00 | 文事清流

講演旅行と上海万博

 先日、飛行機が上海に到着したときの天気は曇り、太陽は時々顔を出し、暑すぎず湿度もあってちょうどいい天気だった。駆け寄ってきたホテルのドアボーイは「上海万博へようこそ!」と熱く言った。そのウェットな語感で上海に来たと実感。
 
 前月に友人の『日本新華僑報』編集長の蒋豊氏が万博に招待されたとき、新聞に一枚の写真を載せた。蒋氏と、「おかえりなさい」というプラカードを掲げたスタッフが写っていた。しかし私はと言うと、「帰ってきた」という感じがしない。ずっと「家にいた」ような気がするから。
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 当日の午後は「神戸のつどいin上海」フォーラムに参加した後、夜にはパーティーがあり、挨拶のなかで次のような話をした。

 私の学生に上海から神戸に来た中国人留学生がいる。彼は二つの印象を持ったという。一つは海のにおいがすること、もう一つは六甲山から遠くの海が見えること。もう一人、神戸から上海に留学した日本人学生がいる。彼も二つの印象を持ったという。一つは海のにおいがすること、もう一つは遠くの海が見えること。私は彼に尋ねた「上海には山がないのに、どこから海が見えたの?」。すると彼は「世界一高い展望台から見ました」と答えた。

 それぞれ別々の街から、別々の国からやって来た二人の学生が、相手の街に住んでみて、同じようなことを感じ、身をもって体験したわけだ。そしてこれからも彼らはリアルな体験を共有していくだろう。その意味で、上海万博のスローガンはすばらしい。よりよい都市、よりよい生活。

 次の日の午前中は上海万博の中国館を見学した。大スクリーンの映像による巻絵や屏風絵がおもしろかった。天気はよく、人も多く、韓国館は6時間待ちの行列だった。こんなに並んだら一日で真っ黒に日焼けしそうだ。
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 万博会場を歩いていると、時折かんかん照りの故宮を歩き回っているような錯覚を感じた。植えられている木が小さい木ばかりなのでますますその感じが強くなる。大木を植えないのにもきっともっともな理由があるのだろう。見渡す限りの人ごみ、日傘、そして、汗そのものなのである。
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by amaodq78 | 2010-06-13 10:04 | 文事清流

言語の直感力

 言語に対する人間の直感力は、そのほとんどが少年時代に培われたかもしれない。私の場合、子供のときからとりわけ言葉に敏感だったということではなく、音声や画像を受け止める特殊な能力があったということでもない。世の中には、生まれつき絶対音感を持つ人というのがあり、彼または彼女は、聴覚でとらえたすべての音声を一つひとつの音符にすることができる。夏に飛びまわる蚊の羽音でさえもきわめて正確に半音まで聞き分けるだろう。これは間違いなくひとつの技能であるが、しかし同時に一種の苦痛でもある。こういう人にあっては、時と場所を選ばず襲ってくる音符は、ときにはするどい針となって自分の聴覚に突き刺さるものとなるからだ。

 子供の頃、北京に住んでいた私は、ほとんど毎朝のように祖母と一緒に近くの公園へ通った。祖母には、子供は早起きをして外の新鮮な空気を吸うべし、太陽の温かさを感じることは朝から晩まで教室にいるより意味がある、という昔ながらの考えがあった。越劇の好きな祖母は、冬になるといつも早朝の公園で喉を鍛えるのだった。私は不思議に思って尋ねた。

 「おばあちゃんはどうして、わざわざ冬に喉を鍛えるの?」
 祖母はゆったりと、バケツを下げながら答えた。
 「公園に行ってみれば分かるよ」

 北京の冬は冷たく、道には氷が張り、そのうえたいへん乾燥しているので、公園に来る老人の持ち寄る綿入れの座布団さえ、うっかりすると静電気がおこるほどだ。祖母は公園の朽ちかけた壁の前までくると、通路脇の蛇口からバケツ一杯の水を汲み、壁に撒いた。水はすぐに凍りついた。

 祖母は足に力を入れてしっかりと立ち、壁に広がる氷に向かって突然大きな声で歌い始めた。一つひとつの音声が、白い息の熱気のなかから発せられ、ひとつ、またひとつと波が広がり、優雅な声の波状が形作られた。祖母は発声に没頭していった。やがて壁面の氷が祖母の吐く熱気に震え、とうとう水に変っていった。私は傍らに立ち、祖母の起伏に富む発声を聞きながら、融けた水の滴り落ちる波紋を凝視していた。

 祖母は江蘇省武進県(現在の常州市)の生まれだったが、彼女の発音、とくに越劇を歌うときの高音部は日本語の発音にとても近かった。学者の説では、日本語のなかの呉音は、実際に中国の江南から伝わったという。
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by amaodq78 | 2010-04-07 20:38 | 文事清流

友情はすべて会話のなかにある

 ハルビン、大連、そして天津への講演旅行から戻り、相変わらず忙しかった。もちろん書いたり読んだりもしたけれど、多忙は僕にとっては最初から基本的には雑用だった。雑用とは人とのあいだに交わされる会話であり、一種の友情でもあった。さまざまな人たちとのあいだで交わされる会話を蓄積させていくと、友情のなかに進むべき経路がやがてあらわれ、そこを僕が歩いていくと、友情のなかにある事実関係の末端に僕は取り込まれ、そのことを通して、ほんの少しずつにせよ、友情というものを実現させていくことが出来る、という実感である。
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 ところで、今月3月13日(土曜日)大連外国語学院での講演の全記録は既にネットで出現していて、しかも丁寧に細心に、よく作成して、計80分弱の長さを組み立てたというからたいへん驚いた。

 こうした作業を聴講生の誰かがそれなりに完遂するにあたっての目的は、ただひと言、みんなに見せるために、でしかない。いわば、僕への友情とはこういうことなのだと、いまの僕はそう思っている→ 『大連外国語学院での講演全記録』
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by amaodq78 | 2010-03-30 10:32 | 文事清流

ごく個人的な幸福感を撮る

 乾杯となると、みなさんから一斉に歓声が沸きあがる。しかし、デジカメの操作を誤り、その場面を撮り損ねた。 惜しかった。(-`ω´-)  これは昨日、南京町の春節祭に参加した際、撮影を練習していた僕の「腕前」である↓
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 なぜかはわからないが、このごろ外出での道具として、いつもリコンCX2のデジカメを愛用するようになった。見事な瞬間、あるいは素敵な写真が撮れればと思っているが、それはなかなかできないことである。

 人気ブログにはいい写真が掲載されている。それをボンヤリ眺めながら、いやな感想をかみしめていた。僕には絶対、上手に撮れないのだな、と。

 文筆業なのをいいことに、人に会わずに心地よく暮らすことができる。昔からの人間関係で満足していて、特に新しく誰かと知り合いたいという気持は薄いというが、僕は決してそのようなタイプの人間ではない。「顔が広い」というのはプラス評価だと思うし、日常を記録するのもいわば、地味なことだけど、全然疲れはない。

 来月の講演旅行は北京、天津、ハルピン、大連などをまわってくる予定だが、人と知り合いになれるのを楽しみながら、そのあたりの日常も記録しておこう。 
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by amaodq78 | 2010-02-15 10:25 | 文事清流

上海でのYOKOSO JAPAN

 追って詳しく中国語ブログにも書いてみるが、僕なりに言わせれば、トークショーにおいて、アドリブの快楽はとても大事なものである。ひょいひょいと言った軽妙な語り口で、深いところに触れていく。これこそ、聴衆を惹きつける、いわば「言語の技芸」というものなのだろう。写真は先日の上海での公開トークショーの様子 ↓
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by amaodq78 | 2009-11-29 07:12 | 文事清流

多言語作家達からの提言

 これは文化表現とその実践を集めた分厚い論集だった。フォーラムと書かれたその内容は日本語への挑戦に複数言語作家達の発言が記録され、実に前衛的な試みでもある↓
  『越境する文学』土屋勝彦編
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 おそらく学術書として読むべきであろう。
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by amaodq78 | 2009-11-13 07:20 | 文事清流

CCTVドキュメンタリー番組放映

 25歳の頃から日本のことについて興味を持ち始めた僕は、いまでも持ち続けている。

 大人の半分以上を超えて日本を見つめてきたつもりだったから、日常というものに、本質的に惹かれていることは確かだと言っていい。本質的にとは、僕の本質が日本の日常と、余計なものを間にはさむことなく核心どうしが直接的に、というような意味である。 先日、中国全土放送のCCTV番組のいったいなにがここまで、僕をとらえるのか。僕のなにが、日本の日常にそんなにまで惹かれるのか。
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  日本語訳はないけれど、苦労話も含め、どうぞご高覧下さい→ 『魚売りからバイリンガル作家への道』
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by amaodq78 | 2009-10-13 21:05 | 文事清流