カテゴリ:黒猫の隣歩き( 6 )

わが猫の物語

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by amaodq78 | 2008-06-13 17:21 | 黒猫の隣歩き

猫と僕

 くまちゃんは僕が飼っている猫だ。名付け親も僕である。
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 ある年、江蘇省のなまりのつよい母が北京から来た時に、僕も妻も猫を「KUMA」と呼ぶのを聞いて、その度に文句を言っていた。「どうして猫のことを“おばさん”(中国語の発音・姑媽GUMA)と呼ぶんだい?」

 くまちゃんは黒猫だが、おなかの部分の毛は真っ白である。来たばかりのころは小さくて、僕の掌の上で寝ているすがたは、黒いロールパンのようだった。

 猫は猫好きな近所の人が持ってきた。ご主人はパン屋をしていて、奥さんは専業主婦だった。猫を持ってくるとき、ご主人は「毎朝夜も明けないころに家を出るんですが、その日は月が出ていなかったんです。そしてふと見ると、地面に真っ白に光るものがあって、パッ、パッと光るんです。近づいて見てみると、それがこの小さな黒猫で、このおなかが光っていたんですよ!」

 ご主人が猫を引き取ってもらうために、彼が見た光のことを大袈裟に話しているのかもしれないというのは見てとれた。なぜなら、彼らは僕がとても猫好きというわけではないことを知っていたからだ。

 僕に比べて、妻は愛猫家である。彼女は幼いころに北京で猫を飼っていて、その後ベルリンに行っても飼っていた。また、出かけて帰ってくるときにこのご近所さんに会うと、必ず彼らと猫の話をしていた。僕は内心わかっていた。

 たとえこの猫を引き取らなかったとしても、妻はきっと別のところから猫を連れて帰ってくるだろう。そこで、この猫を引き取ることにして、名前は絶対に僕が付けると決めた。こうしてくまちゃんは我が家に進駐し、家族の一員となったのだ。

 くまちゃんは性格が穏やかで、僕たちをてこずらせることなく、また高いところへ逃げ隠れるようなこともない。ためしにおもちゃを買ってきて与えても、見向きもしない。

 いちばんおもしろいのは彼が僕を見る方法で、往々にして直接見るのではなく、大きな鏡の前に立って、鏡越しに視線を投げかけてくる。その態度はミステリアスで、ときには思想家のようである。

 季節を問わず、くまちゃんは僕の視野の範囲にいれば、かならずこうやって見てくれるのだ。
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by amaodq78 | 2008-02-13 16:20 | 黒猫の隣歩き

猫は途中から

 ミクシィを書くと、なぜか寄ってくる。

 猫をみれば、いろいろなことがわかってくる気もする。新しい表情に僕は陶酔する。また、文章をかくことも、猫はそばにいながら慣れるに従って、あんなことも書いてみたい、こんなふうに書いてみたいと意欲は膨らんでいく。
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 一匹の猫は、けっして小さく無力な存在ではない!
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by amaodq78 | 2007-02-16 00:53 | 黒猫の隣歩き

猫と共に暮らす

 猫には、その猫に合った空間の広さや時間のリズムがあると思われる。車で走りまわり、忙しさのあまり時間に縛られた現代人の生活は、はたして猫という動物の持つ空間やリズムに合っているのだろうか。

 同じ家に住んではいても、猫にとっては部屋の空間がすべて。無論、体の大きさにより、住んでいる世界は多少異なるが、時間までもが違うものではない。

 猫と一緒に暮らしてみて、とりわけ週末になると時間がゆったりと流れるのだろうかと、しみじみ実感した。猫のある暮らしがすっかり定着したこの頃では、たまに東京まで出ると、足早に歩く人々の姿を見ているだけで疲れてしまう。
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by amaodq78 | 2007-01-23 17:13 | 黒猫の隣歩き

僕の猫の名前は熊だ!

 昔はどこかの街角に黒猫の看板がいくつも立っているのが目につく。いまや、黒猫はすでに我が家の飼い猫になっていた。

 どうも猫には、独特の質を持った重みがある。例えば、猫を抱いた時、ズッシリくるような、しかもとても柔らかい重みがそれである。

 雑誌などの連載で、直接、猫が登場するのはそれほど多くないが、後は旅行記やエッセイ、それとかかわる間接的な話が多い。もっぱら日常に観察した「僕」的な猫である。

   猫のことを思うと、小説仕立てにすることもできるかも知れないが、事実、二度ほどそれを試みてはいる。あえてそうせず、別の話とした。というのも、別の話だけではなく、すべては小説にすると、普通に表現できないと思ったからである。本性からして、現実のなかの話を圧縮させることが一番好きなので、小説は向いていないのである。

 黒猫は、我が家のどの場所が一番快適に眠れるかを体で覚えているらしい。何事もわざわざ乗らなくたって良さそうなものがある。そこが猫の習性なんだねと言われればそれまでだろうが、僕に言わせれば、それこそ猫に教わったところでもある。


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by amaodq78 | 2007-01-07 20:33 | 黒猫の隣歩き

桜の樹の下で

 松田先生は獣医で、東京できれいな動物病院を構えている。遠くからは積み木を積み上げたように見える建物では童話のような色彩で、オレンジ色の壁の間に通路がある。通路はピンク色で、陽射しの無いときでも明るく、ときには眩く感じることもあるほどだ。

 通路沿いの階段があり、足元の床板はキシキシ音をたてる。おかしなことに、前に松田先生を訪ねたときに、ちょうど梅雨時で、普通のアスファルトの道を歩いているときには、細い雨が地面に落ちる瞬間に空気中の雨が振る音がかすかに聞こえるくらいだった。しかし、松田先生の診察室の階段を昇るときには、足元の音が変化し、雨音がもともとの階段のあの乾いた音から変わり、この季節には木の階段はは雨水と顔を合わせないようだ。

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 毎回少し気にかかっていたのだが、松田先生は「それはうちの猫がやってるんだよ。このあたりで何時間遊んでいていれば、雨が降ったとしても、びっしょり地面が濡れることはないんだ。木の乾いた音はしないし、その熱気が木の板を全部乾かしてしまっているみたいだ」

 猫が主人を驚嘆させるのはよいことで、特に猫にしてみれば、主人が自分に驚嘆するのは、悦に入るところから最後には崇拝しているか定かではなく、称賛には足らない。松田先生に至っては、彼は私が猫に興味をもっているのを知っているので、何げなく私に話をするのだが、その様子から、猫がまさしく命で、彼がぼーっとしている猫を偏愛ししていることが伺える。しかし、時には彼はさほど熱心ではなく、ひどいときには黙りこくってしまう。これはもしかすると松田先生が私が彼の言うすべての意味を理解していないと心配してのことかもしれない。

 何故かというと、もうずいぶん前に、私が中国の一部の地域では猫の肉を食べると話したことがあるからだ。猫の肉を食べることについては、私は日本人がクジラを食べるのと同じように、食文化の違いに他ならないと思っていた。この他に、さらに深い意味など説明できないと思っていた。松田先生は従来この問題について人と話したことはない。

 彼の視線はただ猫に注がれいているのだ。一人の獣医師として、猫を見ることは彼の職業であり、当然さらに猫を見るのが好きなのは彼の興味といえるだろう。彼が獣医になったのは、ある夜見た光景によるものだそうだ。当時彼はまだ少年で、家からそう遠くないところに動物病院があった。ある夜、彼が放課後家に帰ると、一匹の黒猫が力なくうずくまっていた。しかし、黒猫は懸命に動物病院の方角に移動していた。

 その背後に何か真っ黒な塊があったが、それが何なのかはっきり見えない。黒猫は大声で鳴き、身を引きずり前に這った。まもなく、門から女性の獣医がでてきて-正確には彼女は助手だったが-。彼女は「黒猫ちゃん、どうしたの?」とブツブツいいながら、黒猫の後ろを見渡した。黒猫が鳴いたのは自分の為ではなく、後ろの真っ黒なもののためだったのだ。それも一匹の猫で、深い傷をおっていた。黒猫は病院の階段のそばでずっと激しく叫んでいた。助手さんは黒猫を抱きあげた途端、びっくりして声が出なかった。その黒猫が連れてきた傷を負った猫は、何者かによって後ろ足が切断されていたからだ。

 松田先生はこのことを話すとき、今でも激怒する。更に言えば、彼の目はかすかに赤く、毎回涙が流れおちるとき、こう言う。

 「その日、桜の花びらが舞っていたんだよ」
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by amaodq78 | 2006-08-25 22:15 | 黒猫の隣歩き