2008年 02月 13日 ( 1 )

猫と僕

 くまちゃんは僕が飼っている猫だ。名付け親も僕である。
e0060913_16201469.jpg

 ある年、江蘇省のなまりのつよい母が北京から来た時に、僕も妻も猫を「KUMA」と呼ぶのを聞いて、その度に文句を言っていた。「どうして猫のことを“おばさん”(中国語の発音・姑媽GUMA)と呼ぶんだい?」

 くまちゃんは黒猫だが、おなかの部分の毛は真っ白である。来たばかりのころは小さくて、僕の掌の上で寝ているすがたは、黒いロールパンのようだった。

 猫は猫好きな近所の人が持ってきた。ご主人はパン屋をしていて、奥さんは専業主婦だった。猫を持ってくるとき、ご主人は「毎朝夜も明けないころに家を出るんですが、その日は月が出ていなかったんです。そしてふと見ると、地面に真っ白に光るものがあって、パッ、パッと光るんです。近づいて見てみると、それがこの小さな黒猫で、このおなかが光っていたんですよ!」

 ご主人が猫を引き取ってもらうために、彼が見た光のことを大袈裟に話しているのかもしれないというのは見てとれた。なぜなら、彼らは僕がとても猫好きというわけではないことを知っていたからだ。

 僕に比べて、妻は愛猫家である。彼女は幼いころに北京で猫を飼っていて、その後ベルリンに行っても飼っていた。また、出かけて帰ってくるときにこのご近所さんに会うと、必ず彼らと猫の話をしていた。僕は内心わかっていた。

 たとえこの猫を引き取らなかったとしても、妻はきっと別のところから猫を連れて帰ってくるだろう。そこで、この猫を引き取ることにして、名前は絶対に僕が付けると決めた。こうしてくまちゃんは我が家に進駐し、家族の一員となったのだ。

 くまちゃんは性格が穏やかで、僕たちをてこずらせることなく、また高いところへ逃げ隠れるようなこともない。ためしにおもちゃを買ってきて与えても、見向きもしない。

 いちばんおもしろいのは彼が僕を見る方法で、往々にして直接見るのではなく、大きな鏡の前に立って、鏡越しに視線を投げかけてくる。その態度はミステリアスで、ときには思想家のようである。

 季節を問わず、くまちゃんは僕の視野の範囲にいれば、かならずこうやって見てくれるのだ。
[PR]
by amaodq78 | 2008-02-13 16:20 | 黒猫の隣歩き