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中国講演の旅

 日曜日は上海での講演の翌日。

 花園賓館を発ち、朝早くタクシーで上海駅へ向かった。フロントの女性マネージャーに、どの駅ですか?ひょっとして上海南駅ではありませんか?と聞かれて、一瞬答えに戸惑った。

 チケットには上海駅と書かれている。しかし彼女は、汽車駅はたくさんあるので、前もって確かめておかないと間違えるかもしれないという。なにやら要領を得ないが、僕は勢いよく言い切った「南京行きの弾丸列車だ!」

 「あ、それならはきっと上海駅ですね。杭州に行かれるなら上海南駅ですが」女性マネージャーがそういうのを聞いて、二ヶ月前に衡山賓館からタクシーで上海南駅へ行ったことを思い出した。しかも弾丸列車で杭州へ行ったのだった。旅は時には人に何かを思いださせるが、同時に何かを忘れさせてしまうこともあるものだ。

 南京駅に到着した。駅の向かい側は玄武湖である。空が遠くに感じられる。湖水の反射のせいかもしれない。午後三時に古南都(グランド)ホテルで作家の蘇童氏に会うことになっていたが、それまで少し時間があったので外へ出て歩いてみた。

 木々の感じは二十年前に南京へ来たときの緑とまったく同じだった。天気はよく、道行く人も多い。蘇童さんと話をするとき、コーヒーを飲もうと思っていたが、彼がお茶を飲んでいるのを見て、僕もお茶を飲むことにした。店員が「今年の新茶でございます」と言っていた。

 月曜日の午後は、南京師範大学で講演した。階段教室はとても暑く、ダックグリーンの長いカーテンがあおられているのを見ていると飄逸で、時にはいく筋かの光を放っているようにも感じる。熱心な学生を前に、この感覚を表現するすべがない。いつの日か彼らのなかの彼もしくは彼女の講演を聞く日が来るかもしれない。そのとき、僕は老いさらばえていて、彼か彼女はまさに人生の最も輝かしいときを迎えているだろう。

 南京から上海への帰路は講演会の主催者が車を手配してくれた。滬寧高速を走っていると、母が鎮江出身であることを思い起こし、父は常州出身であることも思い起こした。しかし、僕は小さいころから北京で育った。もしこのような運命でなければ、ずっとこの美しい江蘇の地にとどまっていたかもしれない。

 車であれ弾丸列車であれ、飛ぶような速さは私に多くを考えさせないようだ。風景は狂風のごとく過ぎ去っていき、気分も落ち着きようがない。南京で食事をしたとき、一興として仏教を語る蘇州評弾がありみていた。記憶の中にゆっくりと聞き覚えのあるなつかしい音が響き起こり、江南は僕の幼き日のゆりかごなのだと思った。 


by amaodq78 | 2008-11-22 05:31 | 文事清流
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