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莫言饅頭

 1999年の秋、中国の作家莫言さんが、彼の小説『豊乳肥臀』の翻訳刊行を機に初めて来日した。私は通訳として北京から同行し、飛行機で関西空港に入り、それからの日本滞在の約二週間の全日程を随行した。
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 中国と日本は歴史的にも文化的にも縁が深く、彼の小説『赤いコーリャン』『豊乳肥臀』にも深く日本の影が落とされている。このことについて彼は、中国東北地方で受けたインスピレーションをもとに日本に想像力を馳せたという。

 これが、莫言さんの描く日本に、中国東北とほぼ同じ緯度の北海道の情景がよく織り出される理由のひとつとも考えられる。日本に発つ前夜、北京市内で文化人の友達が何人か集まって食事会を開いてくれた。その席で、珍しくお酒を飲み干した莫言さんは、皆のまえで、「毛君は私より日本をよく知っている。今回は、彼の日本をこの私にもぜひ見せてほしい」と挨拶された。

 実は、二年ほどまえ、小文『川向こうの鐘の音』(拙著『にっぽん虫の眼紀行』法蔵館刊P144~154)の中国語版を莫言さんに読んでもらったことがあった。

 それは愛知県知立市にある称念寺のことを描いたものだったが、これを読み終えた莫言さんが私に「このお寺を見に行ってみたいなあ」と言ったのをいまもはっきりと憶えている。私には、莫言さんの言葉が、日本に10数年も住みなれたはずの私の真価を試すかのようにも聞えたが、小説家としての彼は純粋に一個人としての体験そのものを切実に望んでいただけかもしれない。

 莫言さんの訪日にあたって、滞在のスケジュールを組んだ。そのなかには私が詳しい伊勢神宮と神島も入れた。われわれは、京都から東へ移動し、日程の後半を東京で過ごすことになった。愛知県までは車で走った。ずっと私と莫言さんの二人旅だった。

 途中から莫言さんは、運転中の私を「小馬夫」と呼ぶようになり、私の説明でだいぶん日本を覗くことができたという。そして「毛君よ、日本できみは淵を泳ぐ魚のようだ。私はぴょんと跳ねるばかりのエビみたいだね」と楽しそうに笑った。

 称念寺に到着したのは、夜だった。山門の内に澄んだ池から月の水影が微かにみえる。お寺近くで和菓子屋の前を通りかかった。莫言さんが「お寺の近くには、菓子屋も必ずあるのかね?」と聞いた。

 お寺に入ってから、われわれを迎え入れた住職にそのことを聞くと、「お寺には法事が多くてお菓子や饅頭をよく使いますから、お菓子屋さんもお寺のまわりに集中するようになったかもしれませんね。お寺は町の顔ですよ」と答えた。

 本堂にお参りした後、住職が和菓子屋のご主人を呼んできた。莫言さんのことを紹介してから、皆で町に繰り出した。寿司を食べながら、中国の話題で盛り上った。その後、スナックにも行ったが、そこでも中国の話題が果てなかった。

 住職が「『豊乳肥臀』を早速買ってきたが、また読んでいない。二、三日中に読んでしまいたい」と言いながら、莫言さんと水割りで乾杯した。和菓子屋のご主人はその場の話題を聞き漏らさすまいとするように耳を傾けていた。莫言さんはいう。「お坊さんが人間の暮らしに深く潜れば、仏教が人の心に浸透するものになるだろうね」

 それを聞いた住職は、嬉しそうに笑った。

 その日、我々は寺に一泊した。翌朝、梵鐘の音に目覚めた。莫言さんは眠そうな目で言った。「いま、変な夢をみていた。空気がお坊さんの両手になって、私の身体をぐっと持ち上げ、あのお菓子屋の上空をぐるぐると旋回させた。」

 「そうですか?それじゃ、お菓子屋を覗いてみましょうか?」と私が誘うと、莫言さんは「そうだ、そうしよう」と早々と朝の支度を済ませた。

 和菓子屋の店内に入ってみると、ご主人と奥さんは既に仕事に取りかかっていた。私たちの来店をとても喜んでくれて、早速、新製品の饅頭を手渡された。柔らかく蒸した饅頭は、黄色の焔のようだ。

 莫言さんは満足そうに食べ終わると主人に「美味しい」と言い、さらに、「美味しさに言うこと莫し」との意味を込めて自分の名前にかけて「莫言(モーイエン)」と言った。 

 その後、私は自動車を寺に預かってもらい、莫言さんと新幹線で東京に向かった。連日の取材や講演会とNHKテレビの収録などで莫言さんの訛りを聞きつづけるうちに、北京出身の私にも彼の山東訛りがうつった気さえした。

 東京を離れる前の日、平凡社を表敬訪問している最中に、私の携帯電話が鳴った。電話の向こうから称念寺の住職の声が聞こえた。「莫言さんにお伝えください。彼の小説を読みました。私も菓子屋のご主人もとても感動しました。そこで、彼の名前にちなんで莫言饅頭をつくりたいので、帰りに少し早めに寺に寄ってください」

 私は、すぐにそれを莫言さんに伝えた。すると「そうですか?まさかあの夢がまた続いているわけじゃないだろうね」彼は照れくさそうに言った。

 次の日に、われわれは再び、お寺に立ち寄った。莫言さんを歓迎するために、本堂に小さな舞台も出来ていた。称念寺幼稚園の園児たちが賑やかな踊りを披露してくれた。黒衣を着た住職は輪袈裟も肩にかけて、和菓子屋のご主人と一緒に子供たちの後ろに並んだ。

 莫言さんは笑顔を絶やさず、子供の踊りに合わせて両手を叩いていた。舞台が終って、皆で記念写真も撮影し、最後に、住職のご厚意にこたえて、莫言さんは寺院の境内に公孫樹を記念に植えた……。

 2000年の旧正月、菓子屋のご主人は約3ヶ月間の試行錯誤の末、莫言饅頭を完成させた。新製品第一号をどうしても莫言さんと彼の家族に食べていただきたいと、ご主人は住職と私を誘って一緒に北京へ飛んだ。大晦日、われわれは莫言さんと奥さん、それに彼の娘さんと一緒に楽しく過ごした。

 皆で莫言饅頭を美味しくいただき、北京で新年を迎えることもできた。莫言さんはなにかを考えているようで、それから私にこう聞いてきた「私は、未だにあの夢の中にいるのかね?」

 私は、「あれは、夢ではなく、童話だったのかもしれないですよ」と思わず言った。

 莫言さんは、満面に笑みを浮かべていた。

注:(1)小馬夫:シャオマアフー。日本語の“御者”にあたる。(2)童話:メルヘン
  『月刊百科』誌(平凡社)2000年6月号に全文掲載・毛丹青著

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by amaodq78 | 2008-03-07 08:32 | 新聞雑誌掲載文
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