日本語をみつめたその瞬間

 ひとの記憶装置は一人一人違うのではないか、そんな気がする。一つの言語だけでものを書いていた時には、さほどそのことを強烈に感じることもなく、無感覚でさえあった。ひとが全く聞き取ることのできない言語に触れるとき、それは言葉ではなく雑音であり、嬰児が他の人間を見るのに似ている。人とそうでないものの区別さえつかない。しかし、絶えまない重複、倦まぬ反復によって、いつしか音声と情景が心の奥底に刻み込まれ、反射機能が形作られる。そうなって初めて人は外界の事物に多重的な意味を持たせることができるのだ。

 人と世界の間には心の緩衝があって初めて意義が生じる。より正確に言えば、まず人の想像、人の理解、人の納得があり、その後ようやく外部世界の印象が立ち上るのである。嬰児が大人よりよく泣く原因もほかではない、何もかも彼らがはじめて出会う事物と情景だからなのだ。ひとつの言葉は一方向の思考であり、言いかえれば人の表現にとってそれは一時的なものかもしれない。しかし、一時的な表現も繰り返しまったく違う組み合わせ方をされることによって、知らず知らずのうちに人を感化させてしまう。一時的に思われる言葉も、人間の感覚にとってはたんに一時的なものだともいえない。

 たとえば、私がはじめて山というものを見るとき、まず仰ぎ見る。その動作は実際には単語を外化する一種の形式である。「山」という言葉が話のなかに出るときにはいつも、それが高い山だろうと低い山だろうと、記憶の中には高いという概念が刻まれていく。今となっては、山という概念をいつ記憶したのかも覚えていない。そびえ立つ山に驚いたのはいつのことだろうか。
 しかし、このような素朴な疑問は二年近くずっと私の中にあり、おぼろげであるが答えへのヒントをつかんだような気がしていた。というのも、二つの言語を用いての執筆が私の一つの重要な仕事となってきたためである。一方向の思考を双方向へと視野を広げることによって、もともと自然に記憶していたものが、ねじられてくるのである。それは舵をきり、振り返り、絶え間なく記憶のなかの水門に衝撃を与えることであった。

 幸運にも、私が使っている日中二種類の文字は、形の上でどちらも突出した視覚的効果をもつ。とりわけ漢字の融和の中に、ある時は重なり合い、ある時は通りすぎた見知らぬ人のように、同じ形状が全く異なる内容を含んでいる。たとえば先程の「山」。中国語で「山」の発音は「SHAN」という一音節だが、日本語で発音すれば「YA」「MA」という二音節である。日本語を母国語としない人が口を開けてこれを発音すれば、しらずしらず唇の形は机の上で卵を転がしたかのようになってしまう。このような例は枚挙に暇がない。同じ漢字に異なる発音があり、同じ漢字に異なる意味がある。だから私は時々思う。日本人の唇の形は天性平たいのか?それとも中国人の唇の形が丸いのか?漢字は中国からきたが、一つひとつの音節は長い時間の大河のなかでずいぶんと失われた。そして今日日本人と我々は同じ漢字を使ってはいるが、中国人の聴覚からすれば、彼らの読音は間違いなく荒唐無稽である。

 ここに述べたような描写は、私が日本語がわからなかった段階に限られる。今の私の感じることは、すでにこれだけでは説明することができない。人の感覚は多角的で、たとえばあなたが長く醸成した思考を口に出したとしよう。それと同時に、口に出した言葉よりさらに多くの入り組んだ思考がひっそりと消失していく。消失は無念である。とくにすばらしい考えが浮かんだとき、口に出して言おうと思っても間に合わず、その考えは普段の生活用語に飲みこまれていく。

 もともと私は一つの言語で執筆し、一つの考えに一つの言語の出口しかもたず、日常思い考えるところはそれなりにまとまっていた。その後長年の異国での経験を経て、一つの言語からだんだんと二つの言語を使うようになった。それまでは一面鏡であったものが、二面鏡となったような具合であった。ある人は、一つの言語を掌握する過程は順を追って漸進する道のりだというが、私の考えは少し違う。少なくとも外国語で執筆することにおいては、私自身よくわからない。ある日突然二つの言語が混ざってしまったからだ。それもある深夜、夢の中の出来事だ。

 その日の昼間、私には表現したい強烈な欲求が起った。口は休むことなく日本語を喋り続け、それまで試したことのない書き言葉を操った。その時の私にしてみれば、いわゆる表現欲とは何かを表現するためではなく、一つの斬新な表現を生み出したいという衝動に近かった。話すことは一種の瞬間的な行為であり、唇の運動であって、発声された言葉の意味は具体的な環境のもとにあってはじめて成立する。これと反対に、書くことは思慮の過程であり、生動的な文字は思考の吐露である。まるで万馬奔騰のごとくやってきた考えを、内心の苦痛を経て一滴一滴射出する言語による印象である。

 その日の夢はだいたいこんな夢だった……巨大な天幕の上で二枚の透明な原稿用紙が翻っていた。天幕は端が見えないガラスのようであり、紙は刺繍細工のように繊細だった。顔を遮ったとしても分からないほどだろう。そのうち一枚の原稿用紙に書かれた文字は私の書いた日本語だ。もう一枚は私の中国語。二枚はまとわりついて離れず、しかし重なり合わない。近寄ったかとおもうと、翼を翻すように舞う。心を落ち着けてよく見てみると、二枚の原稿用紙は異なる色調、異なる模様を見せているようだった。

 日本語は流れる清らかな泉水、中国語は群山雲海のようだ。一枚は細やかで柔らかく、一つは粗放で果断である。私は落ち着いて観察し続けた。日本語のほうは文字の運びに緩急がある。漢字は仮名の海に浮かぶ小さな島のようで、もともとは漢字の部首だった仮名文字は、舞妓が飛び石を歩むようにして連なる。中国語のほうの紙は筆跡も濃く重々しい光彩を放っている。二枚の原稿用紙は、次第に近寄り、私の眼前で交差し始めて、目くるめく動きを示した。私はこのときはじめて二枚の原稿用紙の中に重複する漢字がいくつもあることを発見した。ひょっとするとこの重複した文字が、二枚の原稿用紙の距離を近づけている最終的な動力なのではないか?しばらくすると、これらの文字は突然跳ね上がった。そして、それらはそれぞれの原稿用紙からゆっくりと浮き上がり、空中でぶつかって、黒い固まりとなった……日常、印象、微笑、体験……同じ相貌の漢字が空気中で沸騰したようになった。このとき、どこからか現れた魔力によって私の体は震えが止まらなくなった。私は必死になって口を開け、空気中の沸き出した漢字を一つも漏らさずに咥えようとした。そして、温度はどんどん上がり、私の身体は熱くなり、涙が湧き出て、発狂した。

 この夢の最後の場面で、烈火のなかから必死でもがきはい出したことを今でも鮮明に覚えている。そして、それ以来、日本語は私にとって確実に神奇なものに変わった。慣れ親しんだ漢字が機械の上の鋳物のようで、ある時は私はそれらを溶かして仮名の中に注ぎ込む。反対に仮名を多用して薄くなりすぎた文章には、漢字を運んでくる。その漢字に日本語の標準的な読み方があるかどうかは構わない。日本の読者はそれらの漢字を見て辞書を引くだろうか。辞書を探しても見当たらずに困るだろうか。恨むだろうか。そんな憂慮はすべて、いったん日本語での執筆に入ってしまえば、自分が燕のごとく身軽になって、どうでもよくなってしまう。

 言語は檻であり籠である。しかし、同時に言語は、開放された広場でもある。特に新しい言語がある人の母国語に向かって挑戦を始め、その人の母国語と格闘しているとき、それはまさに新しい表現の契機が始まったことを意味する。もし、人の記憶装置がそれぞれ異なり、装置の定型が必ず言語に依存するのであれば、こんな推量も成立するかもしれない。少なくとも私においては、母国語の記憶装置は丸い。そして日本語のそれは四角い。四角いものには角がある。角があるならば磨き続けたい。

(『本の話』文藝春秋 2001年12月号)
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by amaodq78 | 2006-09-20 19:48 | 新聞雑誌掲載文
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