記録して成り立つ文学

 流される時間に人間は文学を感じる。流される時間だけに作家は文学を見出す。無論、ことは「文学」に限らないだろうが。
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 この頃も中国太原市内の作家李鋭とメイルのやりとりをしながら、共著本の対談原稿の編集が進み、おそらく来月までにどうにかそれをカタチにすることができるかと思う。彼と僕が「文学あり」と思うすべてのものは、その本質的な「日本への旅」に担保されているのだ。誌面写真は今月号JAL『翔』に掲載中↑ 旅は終わって記憶しないと旅としては機能しない。
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by amaodq78 | 2008-01-12 10:49 | 文事清流
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