ブッダと結婚

  文学界に新風を送り込んだ『上海ベイビー』 から数年、あの美人作家・衛慧が帰ってきた。衛慧といえば、女優顔負けの美貌、文学の修業で培った冷徹な人間観察力を持ち、英語から宗教、ファッションまで幅広く学びながら、なぜかエリートコースをドロップアウト。『上海ベイビー』の発禁処分により、しばらくは言論の自由さえ奪われてしまう。だが、上海での退屈な毎日に嫌気がさした彼女がアメリカに渡ったことで、再び世間を騒がす著述に関わっていくことになる。

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  彼女の新しい小説『ブッダと結婚』(泉京鹿訳、講談社2005年5月刊行)は、その死生観も『上海ベイビー』とは全く異なる。ヒロインの恋の相手が日本人男性だということもあり、自然に触れて心安らぐというような日本人らしい心のあり方も描かれている。生と死にまつわる感性についてはいえば、なるほど彼女の感性は強靭かもしれないが、あえて言えば、日本仏教のような繊細さや柔軟さには欠けている。日本仏教の教えでは、木の葉一枚落ちただけでもそこに生と死の営みを見出すが、そういう感性に本書は縁が薄い。

  しかし、ブッダといえば、実に深刻な悩みを抱えつつ死を迎えているのであり、けっして立派な死に方をしているわけでもない。『ブッダと結婚』をこのように考えながら一気に読み終えると、ある種の充足感に包まれた気がする。私自身がブッダのいる世界、ブッダのいる生活を知っているからこそ、そう思うのかもしれない。


  日常の生活に追われていると、人間はどうしても慣れと甘えで感覚が鈍化してくる。だからこそ、上海という物欲の渦巻く大都会で青春を過ごした女性が一人の日本人男性を真っ向からみつめ、そして懸命に生きつづけた。そこのあたりが実に心に迫ってくる。粗筋は言わないが、ここから著者が本書にかける並々ならぬ決意を見て取ることができるはずだ。過去、ブッダについて書かれた中国の書物は数多い。例えば、仏教の伝達地として歴史上有名な白馬寺の利権をめぐって恋愛事件が起こるというような小説があるとしよう。

  しかし、読者はそんな物語は現実に存在しないとわかっているから、どこか冷めた意識で読む。『ブッタと結婚』はこのような作品とは一線を画している。最後まで読めば、いまの中国人女性のアイデンティティについてもすべて知ることになるかもしれない。

(『仏教タイムス』連載・第84回)
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by amaodq78 | 2006-08-22 22:09 | 新聞雑誌掲載文
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