ブログの包容力

   中国ウェブサイト最大手の新浪網から始まった僕の中国語ブログは、BBSやほかのブロガーへと少しでありながら、拡大の一途をたどってきた。ここ数ヶ月来のテーマは、激変する中国の社会ときびすを接して、住みなれてきた日本の日常ウォッチである。具体的にわずかな所感でも言えよう。

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 最近、いろいろな角度から日本の話題が説かれているが、これほど中国のメディアに言われれば、当然のことながら、日本のことも中国の時事評論の一部門を構成するものとして、内外の論客の語るところとなる。

 しかし、いまの時代はブログのコメントまでが日本人に対する愛憎そのものを展開し、それと反日感情との共通点をあげるから、世論の影は色濃く落とされることになる。残念なことだが、これも事実なのである。

 僕のブログだから、そのままコメントしてもかまわないが、ただ、いかにエゴイズム丸出しの、ほんとうにひどいやつもいるのかはよくわかる。まるで2ちゃんねるにもよく出てくるえげつない連中みたいだ!

 それにしても、日本のいまを知らない癖によくも平気にコメントしてきたと、我ながら呆れた。「盲蛇に怖じず」とでもいおうか?

 日本のものならば、たとえ芸術の話でも苦痛の刑場に祭り上げてしまう盲目的な過剰反応のことであろう。それは微妙なズレから生まれるノイズではない。反日感情の量からくる相違でもあったかもしれない。

   言葉の「凶器」のみになるかもしれないが、ネットやブログは実に摩擦係数の低いコミュニケーションだと思う。勿論、ほぼ例外なく「書込暴力」となり得ると同時に、ブログの抱えている暴力性に耐えなければならない。それは現在でも昔のパソコン通信と比べればさほど大きく変容していない。

 僕はやはり、従来通りに早朝から深夜にいたるまで、日がな一日、日本の日常を観察し、また記録に取り、ブログを書き続け、本も出す。日本との日常には深い意味のあるもの、ないもの、さまざまであるが、しかし、それなりに伝えたい動因があり、それを洞察するところにおもしろさがある。
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by amaodq78 | 2007-02-01 14:09 | 文事清流
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