講演相互の観察の場

 人の交流がふえると言葉もふえる。あえて比喩を用いるなら、天井が高くなり、空間も広げたのである。さまざまな余分なスベースを、どういう言葉で埋め合わせるかによって、ほんとうの意味での豊かさが味わえるはずのだ。
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 ここでの言葉とは、日本人学生にとっての中国語を指していいたいところだが、天井の高さに見合った文化が育たなければならない。暗記を得意とする単語ばかりがふえても、言葉がふえたことにはならない。

 言葉は基本的に、衝動習いの情念を燃やすものである。そのために、日本人学生に小さくても虫の音色や小河のせせらぎを中国語と同じレベルで聞いてもらいたい。

 人間は、言葉も喜怒哀楽も、言い換えれば理性も感性も脳が受け持っている。例えば、邦訳の小説を読み、映画を見たとする、たいへん感動し、中国語に対して無関心のはずなのに、ついつい情緒的に反応してしまうのかもしれない。

 問題は中国語への引導療法があるかどうかである。

 僕の企画でこの頃、中国の著名人を日本にお招きして、複数の大学で文学やその他について縦横に語っていただいた。
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 今年の5月、作家莫言氏の関大講演会について、特に講演者と通訳にとって、mixiでこう書いたことがある。→アドリブの快楽はとても大事なものである。ひょいひょいと言った軽妙な語り口で、深いところに触れていく。これこそ、学生を惹きつける、いわば「言語の技芸」というものなのだろう。

 映画『山の郵便配達』・霍建起監督のお話も同じように思うが、無論、講演会と言っても一様ではない。しかし、熱心な聴衆と興味深い講演内容はどこの講演会でも共通する。なかでも、その場の雰囲気はしばしば学生の学習意欲を強く変えてしまう。中国語だと、今後熱心に取り込みたい学生も増えてくるかもしれない。

 今回は立ち見が出るなど大盛況、多くの来場者の注目を集めた。正直ここまで盛り上がっているとは思わなかった人もいるはずだが、講演の成功は僕の予想通りであった。

 ご尽力頂いた神戸外大の先生方にお礼を申し上げたい。
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by amaodq78 | 2006-10-13 18:02 | 文事清流
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