気になる「文学」

 人脈の効用に及ぶならば、やはり上海文芸出版社の社長とその周辺に触れないわけにはいかない。ここでは、僕が行くたびに市の出版局長や著名人など、数名くらいの人が、会食して思う存分に談じまくり、そこでの話題から中国のいまを見つめていくというような糸口をつかんだのである。雑談、無駄話が決して無益ではない。

 だいだい、特定の話が何か直接の役に立つものと、決めてかかっているのがおかしい。役に立たなくても、ただ何となく言葉を使っていないと不安になるのが、われわれ人間だ。

 コミュニケーションとかはやかましく言われるけれど、何も伝達すべきメッセージはなくても、ただ空なる言葉をやりとりしている、いわば虚のコミュニケーションもある。

 実用を離れた感覚で、普通にしゃべるところから、言葉そのものは現実に具体的作用を及ぼさないから、なぜか文学的になっている気がする。虚の言葉である。

 しかし、もし、実際的な動きを期待する文学があるとしたら、それは政治的色彩の有無にかかわらず、また作者にその意図があるとないとにかかわらず、プロパガンダ文学である。文学は本来、無用の用を認めるところにおいて成立しているのではないか?

 友人記者が書いたブログ記事↓
 中国出版界のあした 

 多くは言わないが、事の真相はそう簡単ではないのが確かであろう。とにかく、文学は無駄の中から生まれるぜいたくな花であり、政治とかが干渉するとなると、問題を混乱させてしまう。無駄が文学であることを、作家にとっても、もう一度見直すべきであろう。
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by amaodq78 | 2006-10-01 17:52 | 文事清流
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