日本語とその空間

 日本語の読書は、僕にとってまるで昼寝や遊びのように無意識に生活のなかに侵入してきたものであった。その場合、僕をとらえた母国語の中国語と同じぐらい、日本語を読んだ「実在」そのものが密接な背景として思い出される。

 近所の日当たりのよい桜並木の散歩道、タバコの匂いがしみ込んだ僕の書斎の古い椅子。覚えたての日本語をたどれば、新たな表現の世界が扉を開けて待っているという発見が僕を夢中にさせたのである。そして、今日も日本語の本を読み続けている。
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by amaodq78 | 2011-04-07 09:49 | ノスタルジックな時間
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