独り中秋節を祝う

 同じアジアの国なのに、日本だけは中秋節を祝わない。これはアジアの中の例外だという人もいる。その見解が正しいかどうかについては、考証したことはないし、学者のようにあちこち資料を調べて真相を突き止めるつもりもない。ただ、毎年、日本での中秋節はとくに何もお祝いをしないまま過ぎていく。たいていは、家族や友人にお祝いの電話をかけるくらいだ。

 祝日を手持ち無沙汰に過ごすせいか、電話を掛けるとどうしても長くなる。その日はニューヨークの友達に電話した。ちょうど大勢集まって中秋節のパーティーをしていたらしく、電話が通じたとたん、向こうからにぎやかな雰囲気が伝わってきた。それに比べて私ときたら、目の前の巨大な観覧車の横に出ている満月を一人で眺めているばかりで、懐かしい思いも空には飛んではいかず観覧車のようにずっとその場で回っているばかりなのだ。
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 先日はずっと富士山のそばの田舎町を取材していた。旅館にはインターネット回線がなく、フロントにぽつんと2本のケーブルがあるきりで、さっき河口湖湖畔のホテルにチェックインするまでの数日間はインターネットなしで過ごすほかなかった。今、ホテルから外を眺めている。広大な視界が広がっているが、富士山はそれほど高くは見えない。それよりも風呂で見た逆さ富士がよかった。

 富士山の河口湖湖畔にはとてもお洒落なホテルがある。このホテルでは、元々和室だった客室は全部洋室に改装されており、大きなガラス窓と鏡張りの壁はパリのセーヌ河沿いのホテルを思い出させ、東洋と西洋の境界にいる気分だ。

 とくに屋上の露天風呂が自慢らしい。朝、温泉に浸かっている人の視線が富士山と平行になるように作られているから、温泉には逆三角形の富士山が映る。その景色を充分楽しんだ後、立ち上がって温泉の湯をかき回したとき、その逆三角形が急にゆらゆら乱れて私の足の間に矢のように飛び込んできたのだった。
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 このときだからこそだったかもしれないが、近所から聞こえてくる梵鐘の音に、何故か心惹かれていたのである。
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by amaodq78 | 2010-11-20 08:35 | 文事清流
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