実りの檀

 近所に小学校がある。学校の前は歩きなれた道だ。日本では桜の季節に新学期が始まる。学校は春の花のように華やぎ、生徒たちの笑顔が陽光のようにあふれている。

 とくに小学生は賑やかだ。小学校には大きくはないが体育館があり、新学期が始まると毎朝みんなで読書をしている。高学年の子供が一人、前に置かれた檀に上がって読んでいる。毎日一人ずつ順番に、巡回公演みたいに檀に上る。私の観察によると、どの子も必ず檀に上がることになっているらしく、その日誰が前に立つかにはそれほど関心がないようだ。

 その檀というのは木の箱で出来ていて、布で作った紅白の花で飾られている。その色鮮やかさをみれば、檀の上に立てば人から祝福されているような、また皆から崇められているような特別な感じがするだろうことは説明されるまでもない。

 女性の校長先生に聞いてみた。「檀をこんなふうに飾っているのは何か考えがあるのですか?」校長先生は意味ありげに笑って答えた。「もちろん、毎日、生徒たちは順番に檀に上ります。毎日上る生徒は違うけど檀はいつも同じです。檀だけでなく、周りにつけた花もずっと変えていません。それは、生徒たちに、この檀が神聖なものだと印象づけるためなのです。こうやって毎日、小さいときからみんなが一つのものを思う心を育てていくことで、大きくなって、チームワークがしっかり根付くんです」

 こう聞かされて初めて、そういえばこの檀は確かにいままで交換されたことがないのに気がついた。何回も体育館の朝の読書を見たが、季節が変わっても檀はいつも小学生たちに呼びかけているように、一番前に立っていた。

 ついでながら、我が家は阪神甲子園球場のすぐそばなので、時々試合を見に行く。日本の応援団は息が合っていて、みんなが一つのリズム、一つの掛け声に動きを合わせている。しかも試合が緊迫すればするほど動きが一つになるのは、どこか宗教儀式のようである。
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by amaodq78 | 2010-11-10 17:34 | 文事清流
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