友情はすべて会話のなかにある

 ハルビン、大連、そして天津への講演旅行から戻り、相変わらず忙しかった。もちろん書いたり読んだりもしたけれど、多忙は僕にとっては最初から基本的には雑用だった。雑用とは人とのあいだに交わされる会話であり、一種の友情でもあった。さまざまな人たちとのあいだで交わされる会話を蓄積させていくと、友情のなかに進むべき経路がやがてあらわれ、そこを僕が歩いていくと、友情のなかにある事実関係の末端に僕は取り込まれ、そのことを通して、ほんの少しずつにせよ、友情というものを実現させていくことが出来る、という実感である。
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 ところで、今月3月13日(土曜日)大連外国語学院での講演の全記録は既にネットで出現していて、しかも丁寧に細心に、よく作成して、計80分弱の長さを組み立てたというからたいへん驚いた。

 こうした作業を聴講生の誰かがそれなりに完遂するにあたっての目的は、ただひと言、みんなに見せるために、でしかない。いわば、僕への友情とはこういうことなのだと、いまの僕はそう思っている→ 『大連外国語学院での講演全記録』
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by amaodq78 | 2010-03-30 10:32 | 文事清流
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