夕焼けの温度

 商社に勤めていたとき中国沿海都市への出張が多かった。北は大連の長海県、天津、塘沽から南は珠海まで、そのあいだには日照、連運港、上海、寧波、福建、アモイなどもある。毎年春と秋には漁師と一緒に海に出る。港へ帰ってきて彼らと酒を飲んだりマージャンをすることもあった。しかし、一番よく覚えているのは夕焼けだ。いつも思うのだが私は日の出より夕焼けを眺める時間がずっと長い。
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 大学生のころから朝型で、寮で同室だった友人が三十年経ったいまでも私のせいで眠れず仕方なしに早く起きて勉強した、と恨み言をいうほどだ。実際、早起きすると頭が冴えて勉強もはかどるが、これは朝焼けを浴びているから勉強がはかどるわけではなく、そういう意味では私にとって朝焼けは身近なものではない。

 いまでも朝型だが、相変わらず日の出を見ることは少ない。早朝に原稿や教材、ブログとツィッターを書くのが好きだが、机に向かっているかあるいは後の二つは旅先の列車やホテルで書くことが多いからだ。それに一日の仕事が終わったときに見上げる夕焼けは日の出よりずっといい。ああ、今日も一日仕事をした!という気持ちになる。すこしキザだが、夕焼けが今日も一日おつかれさま、といってくれるように思うのだ。いつも思うのだが夕焼けは温度があるから美しい。夕焼けを見るとき目を見開かなくてもよい。ただ目を閉じてまつ毛にかすかに感じるのだ。そうすると少しずつ温かさが伝わってくる。

 ところで、日本語で書くということは私にとってまるで遊びのように無意識に生活のなかに侵入してきたものであった。その場合、私をとらえた母国語の中国語と同じぐらい、日本語を書いた「実在」そのものが密接な背景として思い出される。

 近所の日当たりのよい散歩道、タバコの匂いがしみ込んだ私の書斎の古い椅子。覚えたての日本語をたどれば、新たな表現の世界が扉を開けて待っているという発見が私を夢中にさせたのである。そして、今日も日本語で書き続けている。
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by amaodq78 | 2010-03-02 06:18 | ノスタルジックな時間
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