お辞儀の不思議

 新幹線がホームに入ってくると、すぐにも乗りたい。また、列車から降りてくる友人に早く会いたいと思うのはなんら不自然ではないだろう。しかし、日本の駅でその新幹線が止まれば、時々乗客のお辞儀のやりとりが終わるのを待たなくてはならないときがある。勿論、お辞儀はとても素敵だが、腰から深々と身体を屈めるのには時間もかかる。日本人なら、人と出会った時や別れた時に、その場で丁寧なお辞儀や挨拶を交わさなければならないが、駅のホームに限っては、特に列車のドア付近ではほかの乗客や出迎えの人に不快感を与える瞬間でもあるだろう。

 このごろ、仕事の関係でよく上京するようになり、新幹線はいつも神戸から乗りこむ。駅のホームで発車時刻に人のお辞儀を観察してみた。どうやらお辞儀をする人の地位が同じであれば、それほど長くはないようだ。問題は、明らかに目上の人に対しての時である。お辞儀が終わり目上の人が一度軽くお辞儀をすると、目下の人はもう一度深く頭をさげて挨拶を続けながら、足元はまるで眼が生えたように正確な方向を見据えて後ずさりはじめる。その時、お互いの目線は合わず、あたかもひとつの儀式が行われているように見える。

 いつまでお辞儀を続けるかは、相手の目を見て決めるわけではなく、その場の雰囲気で動かされているのではないか?

 このように考えたのも決して単なる気まぐれではなく、おそらく日本を知りつくしたとは言いがたい自分であるからこそ、ホームに立つとお辞儀のある情景を見てみようと思い立つのだろう。時間的に余裕がある場合、乗客を眺めているだけでも退屈しない。暑い夏なんかは、女性乗客が扇子を優雅にあおいでいるのを見て、こちらまで涼しくなる気がする。

 「お辞儀は日本人の礼儀作法である」。以前、日本語がまったく理解できなかった頃に、中国で読んだ書物のなかのこの1行だけはなぜかよく覚えている。はじめて日本に行くのだから、せめてお辞儀ぐらいは身につけたほうがいいなあと思い、大きな鏡の前に不慣れな腰曲げを何回も練習してみた。日本へ飛ぶ前日のことである。

 しかしその後、日本に来てからの十何年の間にはお辞儀をわざわざ練習することなど一度もなかった。それどころか、いつのまにか自分も人と会う時にはお辞儀をするようになっていた。つい最近、愛知県のお寺参りに行った時に、一匹の白い猫が一筋の煙のようにするりとそばを横切ったところ、思わずお辞儀をしてしまい、友人の住職から思い切り笑われた。

 そんな私だが、いまなお、日本人のお辞儀を妙に感じるのは実に不思議なことである。
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by amaodq78 | 2009-05-09 17:11 | 新聞雑誌掲載文
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