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NHKラジオ月刊誌『まいにち中国語』の連載は、今年3月で12回目を迎える。終焉の儀ではないが、思ったままの数だけ、中国の町を書いてきたことになる。連載の掲載期間中にメールや編集部経由のお便りで多くのご意見やご感想をいただき、本当に嬉しい限りである。本当にありがとうございました。
![]() # by amaodq78 | 2010-01-07 12:30
日本における初詣ということを考えると、果てのないものに触れる思いがする。それがどんなにささやかな初詣であっても、僕の初詣はつねに果てのないものに触れていると思える。
試みに初詣の場所の、あるいはその神社に行く足跡を辿ってみるだけで、広大な空間を感じ、目のくらむような思いがする。 無論、僕の言っている初詣という意味は、文字通りのことである。日々の生活の中での思いを定めることでもある。そんな思いを、年齢逆順に引いて眺めてみると、だれのものであっても、広大な空間の中に投げ出されるものではなかろうか。 ![]() # by amaodq78 | 2010-01-01 08:34
大学というのは場所ではなく、人間の知識からきた名前だが、美しい風景は実際の勉強意欲を刺激するものである。研究室から海を眺めるので、学生諸君と一緒に教室を海辺に変更することができる。
![]() # by amaodq78 | 2009-12-05 09:00
追って詳しく中国語ブログにも書いてみるが、僕なりに言わせれば、トークショーにおいて、アドリブの快楽はとても大事なものである。ひょいひょいと言った軽妙な語り口で、深いところに触れていく。これこそ、聴衆を惹きつける、いわば「言語の技芸」というものなのだろう。写真は先日の上海での公開トークショーの様子 ↓
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日本語は室内にもっとも適した柔らかい言葉ではないか、最近何となくそんな気がする。部屋の中に静かに語りかけるには少なくとも英語や中国語より発達しているように思えるが、いざ公衆の前に講演を行うと、日本語が不向きであり、とにかく弱いものになる。
人間は言葉で表現するときに、その多くは相手を前にして独白か、もしくは会話を続けなければならない。静かにしゃべればしゃべるほど、言葉の含蓄も大きいように感じられる。勿論、個人としてはこういう日本語に違和感を持っているわけではない。ただ、機会があれば、やっぱりシェイクスピアのように野外で叫び、奇声でも発しやすい言葉を聞きたい。 いま、このようにして日本語にかかわり、すこし気になることを持ち出したのが恐らく私はこのごろ中国で『出家とその弟子』の舞台を目指しているからでもあるだろう。中国語訳を出版して以来、友人の舞台演出家に読んでもらったが、読後の感想を頂戴すると、真っ先にこれは間違いなく素晴らしい作品ですけれど、室内のおしゃべりが多くないかと逆に聞かされた。そう言えば、演劇文学では、いつも四畳半の部屋に対座しながら、静かにおしゃべりを続けるのでは、いわゆる鮮明な対立は起りにくい。 かりに対立があったとしても、それをたった1ヶ所にずっと眺めつづける観客にとって、ドラマらしいものは成立しないだろう。 例えば、親鸞と自分に反逆する一子善鸞の表現もそう。人間の生と死にあたっての静かなセリフが実にその多く迫真感を溢れ出すように思われる。日本語で演じられる場合に淡々と語られていくことは多いが、こういう特色も、いわば日本語が室内を頭において使われていることによるのである。開放的な空間で構想されなくても、それなりにみんなは通じ合えるように歩み寄りつつ、奥深いものを感じさせる。 ところが、舞台の装置はまったく同じであっても、中国語は強弱のアクセントにともなって、時には誰かと突然くち喧嘩をはじめているみたいにメリハリは過剰である。そして、静かに語りかけたいセリフはここから少しずつ崩れ落ちそうになる。まるで戸外の演劇のようである。 多少とも演劇の問題をはらんでいることを承知しているが、あえて日本語と中国語を室内と戸外に大別してみる。そして中国語訳『出家とその弟子』をいっそう心に染みるように中国での舞台をぜひ実現したいものである。
ベルリン壁の崩壊は今月で20周年、しかし、僕にとっての記憶が、その直前のようすを語ったものを僕のカメラで何枚かの写真に収めたということである。今もたいへん懐かしく思っている。写真はその当時東ベルリンから見たブランデンブルク門の前の記念撮影と東ドイツの1989年の最後の軍事パレットなど。
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これは文化表現とその実践を集めた分厚い論集だった。フォーラムと書かれたその内容は日本語への挑戦に複数言語作家達の発言が記録され、実に前衛的な試みでもある↓
『越境する文学』土屋勝彦編 ![]()
25歳の頃から日本のことについて興味を持ち始めた僕は、いまでも持ち続けている。
大人の半分以上を超えて日本を見つめてきたつもりだったから、日常というものに、本質的に惹かれていることは確かだと言っていい。本質的にとは、僕の本質が日本の日常と、余計なものを間にはさむことなく核心どうしが直接的に、というような意味である。 先日、中国全土放送のCCTV番組のいったいなにがここまで、僕をとらえるのか。僕のなにが、日本の日常にそんなにまで惹かれるのか。 ![]()
JAL786便で大阪へ戻る。北京首都国際空港の登場口はE15番である。滑走路での離着陸から乗降口、ボーディングブリッジの接続まで眺めることができ、航空ファンにとって特等席といえるかもしれない。
豫王墳という古墳の近くで育ったせいか方角には敏感である。単に「永安里」といってもその「東西南北」が気になる。そういえば通っていた永安里二小の呂志存先生はいまもお元気だろうか?黒板を埋め尽くす先生の書く文字は決して乱れることなく、楷書のお手本のようだった。 記憶のなかの「永安西里」にもともと茶色の地色はないのに、いつからか茶色があらわれる。お寺の壁、あるいは葬礼など、過去を知る人に「豫王墳」を連想させるのだ。 ![]() 距離は心の啓示である。同じ風景も、距離があるからこそ記憶が濃縮され、希釈されもする。それが人に対してならば、なおさらだ。距離は人と人の感情をつなぐたった一つのものなのだ。 飛行機は黄昏が近づいたころ定刻どおりに目的地に着陸した。そして家路を急ぎ、もうすぐ神戸の家にたどり着くというときに、ふと目をやると、あるおじいさんがレジ袋からキャットフードを取り出していて、すぐに二匹の野良猫がどこからともなく駆け寄って来た。 この場面に遭遇して私は錯覚を起こしそうだった。なぜなら先週北京の自宅へ帰った日にも、家の前である中国人のおじいさんが同じように袋から餌を取り出すのを見たからである。そして北京でも同じように、どこからともなく野良猫が駆け寄ってきたのだった。そのネコは黒猫だったが、ベトベトするような黒光りではなく、ひとすじの黒煙のようだった。
言葉の面白さに取り憑かれて、かなりの年月が過ぎた。そもそもそのきっかけは、小学3年、同じ机を並べる友から借りた一冊の連環画だった。ほかの詳細は記憶にないが、ただタイトルに「封神」という二文字が入った気がする。いわば英雄といわれた人物の生い立ちからの物語だ。読みはじめはきっと嬉しかったに違いないが、その人物はいったい誰だったのか、さっぱりわからなくなったのである。
![]() 日本人学生にとって、中国語を学ぶ場合、ある種の疑似体験であると言ってもいい。言葉が違っても、言葉は言葉である。それによる想像力は縦横無尽に限りなくひろがるから楽しさ面白さも無限のはずだ。今回はこのような強い思いを抱いて、個々の発想で読むことができる本。また、学校の中ではなくても、どこでもこの一冊さえあれば、言葉を楽しむことが可能であるように、嬉しい極楽があればいい。
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